T's Cafe

小さな私の体験が、もしかしたら大きなヒントになる・・・かもしれません。前は学校の先生、今は自適のご隠居とおしゃべりしましょ。

すべては運命に翻弄される運命にある・・・・・・読書の時間「ドクトル・ジバゴ」

 こんにちは。

 T・たまもです。

 昨日は、いろいろあって更新しそびれてしまいました。

 もう少し推敲したいな、なんて思っていると予期せぬことが起きて結局何もできなかったりします。

 ということで、申し訳ございませんが火曜日の話の続きは、来週にして、今日は金曜日、いつものように読書の時間にいたしましょう。

 今日ご紹介する本は小説。

 作者はノーベル賞を受賞した詩人です。

 

ボリス・パステルナーク「ドクトル・ジバゴⅠ・Ⅱ」時事通信社

 

 せっかく受賞したものの、ソ連当局ににらまれていたパステルナークはノーベル賞を辞退せざるを得ませんでした。

 この「ドクトル・ジバゴ」も、ソ連では出版できなかったそうです。

 厳しい社会情勢はメロドラマの定番舞台でしょ。

 いつだってどこだってそうです。

 読んでも、何がそこまでソ連当局は気に入らなかったのか、私にはよくわかりませんでした。

 (今、ソ連といってわからない方もいるのでは?と、ふと不安になりました。ソビエト社会主義共和国連邦は解体して現在はロシアとその他いくつかの独立国となっています。念のため。パステルナークはロシアのモスクワ生まれの人です。)


本当に色彩感豊かな、みずみずしい文章です。

 主人公のユーラやヒロインのラーラの心がロシアの空や風景の中に溶け込んでいくようです。

 また、そうすることで「超自然=運命」というものが信じられるような、ドラマティックなドラマになっているのです。

 ロマンチックで、でもそれだけではない大河小説です。

 もっと大長編になってしかるべきだと最初に読んだときは思ったくらい、主人公以外の登場人物たちの運命も気になってしかたありませんでした。

 

勉強する気を起こすためには・・・席替えしようよ その1

 こんにちは。

 T・たまもです。

 今日は、教員の席替えのテクニックについてお話ししましょう。

 

 学校生活における大きなイベントのひとつに、席替えがあります。

 なんであんなに盛り上がれるのか、またなんでそんなに席にこだわるのか、昔から私には良く理解できない不思議なイベントです。

 生徒の立場の時には、最前列の席が当たってしまった子によく

「代わってくれない?」

 と頼まれたし、

「となりがあの子になってしまった」と泣いている子もいました。

 私は目が悪かったので前でもかまわなかったし、どうせ授業中はおしゃべりするわけでもないのでとなりが誰だろうと気になりません。

 あ、でも大柄な男子が前だと黒板が見にくくて嫌だったかも。

 まあ、その程度の関心度でした。

 

 教員になってからは、気持ちを理解はできなくても大イベントである、ということは確かなので、いろいろ工夫を凝らしたものです。

 やろうと思えば、

「出席番号順に座って」

と、ものの2分でコトが済むし、LHRの1時間まるまる使ってほとんどレクリエーションにもできます。

 ただ、教室の座席というのは教員が授業をする環境をととのえる意味でも、間違いなく大切な要素です。

 年度初めと定期考査は出席番号順ですよね。

 これが良い証拠でしょう。

 ですから、席替えをするときには、

「教室の座席は大切な学習環境であるからして、担任教諭の専任事項である」

と、ぶち上げていました。

「したがって、本来は担任の私が成績、意欲、適性、相性等々鑑みて、決めるべきなのです」

とまで言うと、生徒は不満げです。

「でも、出席番号順に座った始業式の日、一生の友人に巡り会うことも多いですね。偶然の別名は運命です。」

と言うと、生徒は激しくうなずきます。

「ということで、くじ引きしましょう」

長くなりましたので、続きはまた明日。

おやつの時間 秋の王様和菓子といえば・・・ 

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栗まんじゅう

 こんにちは。

 T・たまもです。

 栗まんじゅうと言えば、ウチの旦那さんは湖月堂が基準です。

 写真は先日作った栗まんじゅうです。

 小判型の方は湖月堂のにそっくりですね。

 でも、「皮が湖月堂のはもっと薄い」のだそうです。

 私は、石田屋の栗まんじゅうが好き。

 上に塗ってあるのが羊羹ていうのがいいんですよね。

 普通は「つや卵」と呼ばれる、みりんとカラメルを混ぜた卵をぬって、このこんがりつやつやした色になります。

 焼き菓子系のまんじゅうは、月餅などもそうですが、これでつやをだしますね。

 

 小判型には一粒栗、栗型の方は刻み栗が入っています。

 栗は、甘露煮を使う派と、ただの蒸し栗を使う派とに分かれます。

 あんこが甘いので、ただの栗でもいいと私は思います。

 でも、栗おこわに使う栗は、甘露煮は好みではありません。

 ただの栗のほんのりした甘みでじゅうぶんだと思うのです。

 おこわだし。

 お米より甘いものを使うのは邪道だと思うの。

瞳を開いて見るべきものは・・・ 読書の時間「二十四の瞳」

 こんにちは。

 T・たまもです。

 今日ご紹介する本は、小説。

 社会派です。

 

壺井栄二十四の瞳角川書店

 

 誰もが題名は知っているといっても良い有名な作品ですね。

 高峰秀子と田中裕子の映画があるほかに、テレビではアニメを含め8度も映像化されているそうです。

 

 少年小説と言いながら、実はえらく巧みな反戦小説なのでした。

 政治の中心地で行われていることなど全く関係のないような、貧しい平和な村の生活がじわじわと、それとは知らずちゃんと’政治’に巻き込まれていく。

 庶民が知るのは、目の前に出てくる現象(例えば「不況」だとか、隣の旦那が「兵隊に取られた」とか、)だけだし、それがなぜ、なにがどうして、どこへつながるのかとは考えません。

 それを考えるのはそういう仕事をしている人だけがすること、むしろ庶民は考えてはいけなかったのかもしれません。

 大石先生が子どもたちを前に

「この瞳をどうしてにごしてよいものか!」

と思ったときから物語は回り始めます。

 いくつもの瞳がかげり、また光を失っていきます。

 これらの瞳は、庶民の象徴なのでしょう。

「落とす」と起きることは 「落とす」で思い出したこと その2

 こんにちは。

 T・たまもです。

 昨日の続きです。

 学術会議の一件で、「落とす」というのが究極の目的だったとしたら、ということで、もうひとつ思い出したのが、最初の主任選考のこと。

 東京都の教員は、現在、正規職員に限ると管理職以外は主幹教諭、主任教諭、教諭の三種類があります。

 で、その「主任教諭」がはじめて導入される年、選考へ募集がありました。

 応募した人全員が合格になる、って言っていたはずでした。

 なのに、不合格の人が結構出たのです。

 しかも募集段階では募集定員も発表されていなかったのに、

「定員を超える応募があって、倍率が出ました!」

と広報で喜々として報告されていました。

 いやいや、もしかして倍率出したいために不合格者を出した?

 ・・・まさか。

 その後、合格した新主任教諭たちは、

 「主任なんだからこんな仕事もある、あんな仕事もある」

 と後出しでいろいろ言われて怒っていましたっけ。

 役人て怖いと思いました。

 こっちはホラー小説です。

「理由が言えない」のは 「落とす」で思い出したこと その1

 こんにちは。

 T・たまもです。

 今日は、みちくさ。

 スガ首相が、学術会議の時期メンバーを任命するのに推薦された中から6人はずして問題になってます。

 さまざま政治的思惑が絡んでいるのでしょうから、そういう事情については専門家がいろいろ語っていらっしゃるので、おまかせするとして。

 ちょっと思いだしたことがあるので、お話をしたいと思います。

 ひとつは、「理由が言えない」のは、

「言えないような理由がある」か、

「理由はない」のどちらかである、ということ。

 生徒が何かやらかした時、

「なんでこんなことしたの」

と聞くと、黙っているのは上記のどちらかであることが多かったのです。

「言えないような理由がある」はともかく、「理由がない」って何だと思われるでしょう。

 「なんとなく」とか、

「考えてませんでした」とか、

聞く側にしたら「理由にならないような理由」です。

 高校生ならよくありますが、内閣のエライ人もするんでしょうか。

 でも、いろいろなニュースをつなげてみると、

「もしかして、誰でもいいから落としたかった、からではないのか?」

と思ったのは私だけではないでしょう。

 あみだくじというわけにはいかないので、役人が「任命拒否にふさわしいと思われる方」、を名簿から消した・・・まさか。

 それじゃ三文小説ですよね。

毛糸のままでは着用できないので

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編んでみた

 こんにちは。

 T・たまもです。

 この夏、ニットカフェに行って、編み物をしました。

 (minamiwa先生、お世話になりました。この写真をお礼がてらメールしたかったのに、アホな私はメルアドをなくしてしまいました。この場を借りてお礼とご報告いたします。)

 久しぶり。

 で、編み物スイッチが入って、秋にかけていろいろ編みました。

 写真の右、ピンクの段だら模様の靴下はニットカフェで編み始めて、家で完成させたモノ。

 さすがにいい糸で、やわらかくて編みやすかったです。

 次に、押し入れのデッドストック毛糸で、二足編みました。

 毛糸のままでは着用できないので、ずーっとどうにかしたいと思っていたのですよ。

 細い糸だったので2本取りにしたら、ちょっと太くなったのか、でかいくつしたになりました。

 しかも、すこーしずつ糸が足りなくて、かかとや足首は無地。

 だいぶ雰囲気が変わるモノですね。

  

 そういえば、昔、女の子たちは彼氏ができるとセーターとか、マフラーとか編んでいました。

 私が学生の頃は、学校にまで持ってきて休み時間に編んでいた子がいたけれど、今でもそんな子いるのかしら。

 部活で、お守りをフェルトで手作りしているのは時々見るけれど。

 編み物は、縫い物と違って狭いスペースでもほんの短時間でもできて、準備も片付けもほとんどいらないので、携帯には便利です。

 最近は外で編み物する人も滅多に見かけません。

 みんなスマホを拝んでいます。(笑)

 

 まだ、糸はたくさんあります。

 かといってセーターみたいな大物を作るには半端な量ばかり、いろいろ、です。

 手袋には太い糸だし。

 帽子やマフラーは売るほどあるからもういらないし。