T's Cafe

小さな私の体験が、もしかしたら大きなヒントになる・・・かもしれません。前は学校の先生、今は自適のご隠居とおしゃべりしましょ。

ボタンの掛け違いに気づいたら 「コンコルドの誤り」その2

 こんにちは。

 T・たまもです。

 昨日の続きです。

 「コンコルドの誤り」という評論を取りあげています。

 コンコルド開発とその商業的失敗に由来する心理現象。

 その心理現象とは、

「投資を続けることが損失につながるとわかっているのに、それまでの金銭的精神的時間的投資を惜しんで投資を続ける状態」

 とでもいいましょうか。

 人間にはあるあるな状態ですよね。

 株の損切りが出来ないとか。

 恋人に貢ぎ続けるとか。

 まあ、もしかしてもしかすると株は再び値上がりするかもしれないし、恋人は振り向いてくれるかもしれない。

 実際には、株は値下がりを続けるし、恋人は他の人と結婚するのですけど、人間はなるべく自分に都合の良い未来を予想したがり、その未来にさらに投資してしまう。

 私は一番簡単な例として「ボタンの掛け違い」をあげていました。

「あとちょっとでボタンがかけ終わりそうになったとき、掛け違いに気づいたら、もったいないと思ったことない?なんだったら、いちおう全部掛けてみたりして」

「先生、それはないよ、せっかくここまで掛けたのにとは思うけど」

「そう、その『せっかくここまでやったのに』ってヤツなのよ」

 ボタンの掛け違いくらいなら、舌打ちすれば済む。

 では1000万円の損失なら?


 一方、筆者によれば、生物は、たとえば求愛行動(メスに貢ぎ物をするとかね)においてメスが無視し続けるのなら、ある時点で他のメスにのりかえるそうです。

 その意志決定の基準は「未来の見通し」であって、「過去の投資」ではない。

 「今までさんざんコイツに貢いだんだからもったいない」

などとは考えないのだそうな。

 つづく。

航空機開発を由来とする心理現象を表す言葉 「コンコルドの誤り」その1

 こんにちは。

 T・たまもです。 

 今回は、長谷川眞理子の「コンコルドの誤り」という評論を取りあげてみようと思います。

 筆者の長谷川眞理子さんは、進化生物学者総合研究大学院大学教授と、当時の教科書にはあります。

 専門は行動生態学だそうで、現在は同大学の学長。

 総研大のホームページには、

「野生のチンパンジー、イギリスのダマジカ、野生ヒツジ、スリランカクジャクなどの研究を行ってきた。最近は人間の進化と適応の研究を行なっている。」

と書いてあります。

 この評論も、人間の行動と動物の行動を比較しています。


 『科学の目 科学のこころ』(1999年)というエッセイ集が出典です。

 現在でもアマゾンで入手できるようですね。

 教科書では評論の分類ですが、エッセイ集、ですので、取っつきやすい話題がつかみになっています。

 当時、「コンコルド」という機種の旅客機がありました。

 超音速機というのが売りで、私もテレビで見たことがあります。

 開発途中で採算が取れないことが判明して、就航した1976年に製造中止になるといういわく付きのシロモノです。

 運航は2003年に停止しましたが、このコンコルド開発と商業的失敗を由来とする心理現象を表す言葉として、

コンコルドの誤り」(コンコルド効果、コンコルド錯誤とも)

が、現在でも残っているのです。

 つづく。

フルーツ界のプリンセスといえば

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いちご


 

 こんにちは。

 T・たまもです。

 ブログを開設してから、めでたく2年を迎えました。

 細く長く続けていけたら良いなと思います。

 よろしくおつきあい下さいませ。

 

 フルーツ界のプリンセス、いちご(オランダイチゴ)は、クリスマスシーズンが最盛期と聞いたことがあります。

 そう、クリスマスケーキ用。

 それで年間の売り上げの8割を占めるとか。

 あら、ケーキの話とごっちゃにしているかも。

 いずれにせよ、いちごと生クリームの組み合わせは最強です。

 アイスクリームも、ショートケーキも、パフェも。

 で、話は戻りますが、いちごは本来、初夏の果物です。

 いや、果物というか厳密に言えば野菜ですよね。

 でも、扱いは果物、収穫時期もハウス栽培や品種改良のおかげで今や旬は冬。

 何だったら、年中スーパーでは買える。

 冷凍しちゃえば家庭でも1年中楽しめます。

おとこぎジャンケン、最初はグー! ゴミ捨ての話 その2

 こんにちは。

 T・たまもです。

 昨日のゴミ捨ての話の続きです。

 ゴミを教室から集積所に持っていくと、ゴミ箱を持ってまた教室に戻ってこなくてはなりません。

 集積所はだいたい校門のそばにあるので、そのまま帰れないというのがゴミ捨てのなんだか損な役回り感が強いゆえんででもあります。

 まあ、じゃんけんで決める事も多いのではないでしょうか。

 じゃんけんは、「負けた人」ではなく、「勝った人」に行かせるのがコツです。

 同じ事なのだけれども、モチベーションが違ってくるのです。

「ゴミ捨ては責任の重い名誉な仕事である。したがって勝った人が行くべきである!」

と言うと、

「同じ事じゃん」

 とブツブツ言いながらも

「おとこぎジャンケン、最初はグー!」

 とやり始めます。

たまに

「先生も一緒にしようよ」

 と言う生徒もいますが、

「いや、私は監督が本務なので参加資格がない」

 と丁重に辞退します。

「あー、勝っちゃった!」

「あ~、行きたかったのに」

と騒いでいる姿はいつもながら可愛かった。

 勝ち抜いた子は、

「オレ、ジャンケン強いんだよね~、ちぇっ、仕方ないなあ」

 と、いそいそゴミ袋を手にします。

 

 私が、「罰」として掃除をさせるのは、あまり良くないと思うのは、「掃除」というものが「苦役」「面倒事」という刷り込みをしてしまうことがあるからです。

「面倒ではあっても、しっかりやると自分もみんなも気持ちいい」

 と思えれば良いのですけどね。

 とはいえ、・・・ああ、今自分の足元を見て思いました。

 掃除機かけなくちゃ・・・めんどい・・・。

分ければ資源、混ぜればゴミ ゴミ捨ての話 その1

 こんにちは。

 T・たまもです。

 今日はゴミ捨てについて。

 これも誰が行くかでもめる原因のひとつです。

 あ、ここでいうゴミ捨てというのは、教室のゴミを校内の集積所に持っていくことを指します。

 お家から、回収車が来る近所の集積所に持っていくようなものですね。

 最近は、玄関の前に置いておくと持って行ってくれる個別回収も増えているようですが。

 そのほうが責任が明確になって良いというメリットもあります。

 

 閑話休題

 昔はなぜか毎日ゴミ捨てに行くものだと思っていましたが、校内での焼却がなくなり、燃えるゴミと燃えないゴミを分別するようになり、集積所に持っていって良い日が減ったので、教室のゴミの量を見て行くか行かないか決めるようになりました。

 ゴミ減量運動の一環で、

「家から持ってきたものは家に持ち帰る!」

「もらったプリントも持ち帰る!!」

と、毎日言ってましたしね。

 そのおかげなのか生徒があまり生ゴミを捨てなくなったので、毎日捨てなくても、夏もそんなに臭わなくなっていたのも大きいでしょう。

 でも、分別に関しては、たとえば燃えないゴミ箱から紙ゴミを拾い上げて、

「このゴミ箱になんて書いてありますか」

「燃えないゴミです」

「これはどっちですか」

「燃えるゴミです」

「どうしてこれが燃えないゴミに入っているんでしょうか」

「・・・他のクラスのヤツが捨てていました」

「どうして注意してあげないんですか、こうやってあなた方が責められるのに」

「・・・」

「しかたがありませんね、全部分別してから集積所に行ってください」

てな会話を毎日のようにするという情けなさ。


 で、そんな会話の後、ゴミを集積所に誰が持って行くか決めるやりかたです。

 全員に行かせる手もありますし、不公平にならないように先生が順番に指名すると言うやり方もありますし、

「誰か行ってくれる人?」

 とボランティアを募ることもあります。

 でも、ボランティアはだいたい決まった子が

「行きま~す」

 と言ってくれるんですよね。

 つづく。

桜と同時期に開花する花といえば

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すみれ

菫程な小さき人に生れたし 漱石

 

 こんにちは。

 T・たまもです。

 桜と同時期に開花する花、すみれ。桜の木の下には必ずすみれが咲いています。

 どうしてでしょうね。

 今年は桜の木の下だけと言わず、いろいろなところで見かけました。

 写真のスミレはたぶん、ホンスミレ。

 葉っぱの形がハート型なのは、ホンスミレ。

 そういえば、スミレが聖バレンタインゆかりの花なのは、このハート型の葉っぱが「愛」の象徴だから、と聞いたことがあります。

 花言葉は「謙虚」「誠実」。

 冒頭の夏目漱石の句も、そう考えるとさらに味わい深い気がします。

 

 

食いしん坊の書く食い物の話は・・・? 読書の時間「私の台所」

 こんにちは。

 T・たまもです。

 今日ご紹介する本はエッセイ。

 この方は俳優さんです。

 昔、朝ドラのモデルにもなっていた気がする。

 

沢村貞子「私の台所」暮しの手帖社

 

 とても読みやすくて、ちょっと隙間時間に読み始めたとき、あ、ヤバイと思ったのですが、予感通り一気に読んでしまいましたよ。

 言っていることがわかりやすくて、明るくて、シャキシャキして気持ちが良いのです。

 この本の前に佐多稲子(この人はバリバリの小説家)を読んでいたのです。

 その文体の雰囲気と比べて、文章を書く上での基本的な「構え」が違うのかなあと思ったことでした。

 せっせこ動く、コマネズミみたいな江戸っ子。

 しつけの良さが文章にも表れていると思います。

 何といっても食い物(たべものじゃないの、くいもの)の話が具体的かつ美味しそう。

 食いしん坊の書く食い物の話は当然ながら面白いのです。

 「興味のあるコト、よく知っているコトが一番上手く書ける」

 という作文の鉄則通りです。