こんにちは。
T・たまもです。
今日ご紹介する本は、ノンフィクション。
ローレンス・ヴァン・デル・ポスト「カラハリの失われた世界」
どんな作品も時代の偏見からは逃れられません。
それは作者自身の偏見が作品に出てしまうということでもあるし、世の中が偏見をもとにその作品を評価すると言うことでもあります。
「偏見」は、バイアス(特定の傾向)でもあるしパラダイム(思考の枠組み)でもあります。
地球が平らでも、奴隷制があっても、宦官がいても、王様が贅沢しても、そういうことが当たり前の世の中であることを前提に書かれています。
「悪しき制度」だ、「ない方が良い制度だ」と思いながらも、それがない世界を想像することはできない。
だから、私は、現代の常識で、「なぜ主人公はそんな偏見に満ちた制度に甘んじているのか」と、糾弾するのは卑怯だと思うのです。
ガリレオを裁いた人は地球が丸いと知らないのに、「なんで丸いというガリレオをいじめたの」と、怒るようなものでしょ。
現代の常識の中でも、遠い未来には偏見と言われることがきっとあるはずですからね。
あ、「であることとすること」の中に、「自分は偏見を持っていないと思い込んでいる人は自らを点検しないから、偏見から自由になりにくい」みたいな文章があったっけ。
何が言いたいかというと、たぶん、この作品は現代の常識からすると、どんなに敬意と愛情にあふれているとしても、アフリカに対する「偏見」にも満ちているということです。
この 作品は高校の国語の教科書に載っていました(もちろん一部分)。
ブッシュマン(この言葉もいまや死語ですね)のキリン狩りのくだりがすごく印象的で、後に本を読みました。
この作者はアフリカを愛しているのだなあ、と思いました。
今読んだら、また印象が違うのかもしれませんが、読む価値はあるというのは変わらないと思います。
それが普遍的ということでしょうか。
ちなみに、この本の作者と、「戦場のメリークリスマス」のミスター・ローレンスが同一人物だと気づいたのはずいぶん後のことでした。