こんにちは。
T・たまもです。
昨日の続きです。
谷川俊太郎「兵士の告白」、三好達治「灰が降る」、茨木のり子「私が一番きれいだったとき」を授業で扱ったというお話をしています。
「灰が降る」は、米ソの冷戦時代を反映して、核戦争後の世界をイメージした神の視点からの詩です。
わらべうたのような描写と七五調をベースにしたリズミカルな文体が特徴です。
たとえば、死の灰をうたうにも、「花咲爺さん」と言う比喩で、生々しい描き方ではありません。
授業では
「ひとつの胡桃をわけあつて」
「小さな胡桃をとりあつて」という表現に、
「仲良く分配する」
「胡桃を投げ合って遊んでる」イメージを抱いた生徒が多かったようです。
また、最終連に
「昔々あの星に/悧巧な猿が住んでいた」というおとぎ話のような表現があり、やはり人類が絶滅した後の話だと思えない生徒もいました。
「兵士の告白」や「わたしが一番きれいだったとき」に比べて、自分事として引きつけて想像するのは難しい内容だったようです。
私などは、このおとぎ話のような比喩はかえって空恐ろしささえ感じたものですが。
「わたしが一番きれいだったとき」は、戦時中に女学生だった作者が、一番美しかるべき青春時代を戦争に踏みにじられた経験を詩にしたもの。
この作品については、機会を改めて触れることにしましょう。