こんにちは。
T・たまもです。
昨日の続きです。漢文の「雑説」についてです。
伯楽とは春秋戦国時代の人で孫陽のこと。
馬の鑑定眼に優れていたので、天馬の神仙星「伯楽」の名をもらったそうです。
転じて人間の才能や器量を見抜き、育てる人のことを伯楽と言います。
名コーチのことを、「名伯楽」と言いますよね。
で、当然ながら才能というのは、誰かが認めないと才能がある人とは言われないわけです。
スポーツや芸事などを始めているのなら「この子は筋がいい」とか、「オレって天才?」みたいなこともあるでしょうが、ただの学生でやんちゃなトラブルメーカーだったら、それこそ海のものとも山のものともつきません。
「ホントは天才経営者とか、大物政治家になる資質があるとしても」
と、私は授業で言ったものです。
「私は伯楽ではないからね、キミの才能を見抜けないでいるだけなのかもしれません」
そう言うと、生徒たちはまんざらでもない様子でにやにやします。
「むしろ、厄介な問題児と思っていたりして正しい扱い方を知らないばかりに、キミの才能をつぶしてしまっているのかもしれない、と思うと怖いなあ」
とまで言うと、大喜び。
「そうだよ、先生、きっとそうに違いない」
「でもね~、栴檀は双葉より芳し、という言葉もあるし、臥薪嘗胆とも言うし。将来を楽しみにしていますから、自分を信じて、辛い仕打ちにも耐えて、大きく羽ばたいてね」
これは本気で言うのが大切。
彼ら自身も、自分に才能があることに自信はないのですから。