こんにちは。
T・たまもです。
「更級日記」のつづきです。
いみじく心もとなきまゝに、等身に薬師仏をつくりて、手あらひなどして、人まにみそかに入りつゝ、「京にとく上げ給ひて、物語のおほく候ふなる、あるかぎり見せ給へ」と、身を捨てて額をつき、祈り申すほどに、十三になる年、のぼらむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所にうつる。
年ごろあそびなれつるところを、あらはにこぼち散らして、たちさわぎて、日の入りぎはの、いとすごく霧りわたりたるに、車に乗るとて、うち見やりたれば、人まにはまゐりつつ、額をつきし薬師仏の立ち給へるを、見捨てたてまつる悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。
京から遠く離れた上総の地では物語をもっと読みたいと思った菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ・以下サラちゃん)。
なければ欲しくなるのが人の情というもの。
当時は印刷技術もないので、本を読みたければ写本を取り寄せるか、借りて自分で書き写すしかありません。
まして、上総のような田舎では、そもそも写本自体持っている人がほとんどいなかったでしょう。
そうなると、上総でつてを捜しまわるより、京に帰ったほうが話が早いかも。
というわけで、サラちゃんが頼ったのは仏様。
神様でも良かったのでしょうが、仏様の方がスポンサーであるお父上のOKが出やすかったのかもしれませんね。
「私、一生懸命勉強(もちろん、仏典ね。女子なので四書五経ではなくてもOKでしょう)するから!まずは拝むための自分だけの仏像が欲しい!」
勉強するツールにするからとスマホをねだる現代っ子とあまり変わりないですね。
サラちゃんも仏間では勉強するのではなく五体投地して拝みます。
その内容は
「京都に帰ってたくさん物語を読ませてもらえますように!」
なのでした。
子供の「勉強する」はうかつに信用してはいけません。
サラちゃんが13歳になった年、父上である孝標の帰京が決まります。
受領階級の良いところは田舎で荒稼ぎできること。
孝標もそれなりに資産を蓄えたことでしょう。
引っ越しするに当たって、せっかく作った仏像は置いていきます。
家財道具一式なくなって外から部屋の中は丸見え状態です。
仏像だけが残されているというのは違和感がありますね。
でもこの仏像が放置されている件については、
「わびしさと罪悪感があるよね~」
で授業はすませていました。
だって理由がわからないんですもの。
荷物になるからなのか、サラちゃんの「願い」が叶ったからなのか、孝標が「勉強するってサラは言ったが、全く御利益がなかった」と怒ったからか、定かではありません。
高価なものでしょうから、売却したのかもしれませんね。
つづく。