こんにちは。
T・たまもです。
「更級日記」のつづきです。
門出したる所は、めぐりなどもなくて、かりそめの茅屋の、しとみなどもなし。
簾かけ、幕など引きたり。
南ははるかに野のかた見やらる。ひむがし西は海ちかくて、いとおもしろし。
ゆふぎり立ち渡りて、いみじうをかしければ、朝寝(あさい)などもせず、かたがた見つゝ、ここをたちなむこともあはれに悲しきに、同じ月の十五日、雨かきくらし降るに、境を出でて、しもつさの国のいかたといふ所に泊まりぬ。
庵(いお)なども浮きぬばかりに雨降りなどすれば、恐ろしくていもねられず。
野中に岡だちたる所に、たゞ木ぞ三つたてる。
その日は雨にぬれたる物ども乾し、国にたちおくれたる人々待つとて、そこに日を暮らしつ。
京の都へ帰ることになった菅原孝標一家。
菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ・以下サラちゃん)はお兄さんとお姉さんと継母と父の5人家族。
ちなみに実母は「上総のような田舎には下りたくない」ということで京に残っています。
サラちゃん一家とお供の使用人は本格的な引っ越しをするために仮屋敷に移ります。
おそらくは家族の家財道具を京都の住居へ別便で運んだのでしょう。
京都までの各地での宿泊はその土地の有力者の自宅を借ります。
移動手段(徒歩・輿や牛車や馬を含む)の手配もあるでしょう。
いくら気のきく執事がいたとしても、現代のように「○○引越センターにお任せ」というわけにはいきません。
とはいえ、サラちゃんは主人一家の子供ですし、仕事があるわけでもなく、荷物を持つわけでもなく、ほとんど冒険する旅人気分。
「泊まる家がボロくてヤバいわ!」
「海が近くでステキね!」
「大雨が降ってコワいわ!」
と、キョロキョロしています。
この旅の様子はとても良く描かれていて、後世、地域研究の参考にされています。
サラちゃんは13歳当時から日記を付けていて、それを元にこの部分を書いたのでしょうね。
教科書では、いきなり舞台はあこがれの京の都に移り、あこがれの物語の本を手に入れたサラちゃんの耽溺と妄想が炸裂する段が採録されることが多いです。
そのお話はまたの機会に。