こんにちは。
T・たまもです。
今日はみちくさ。
「怖い」という感覚は、自分の固定観念が崩される不安からくるものだ、というようなことを伊丹十三だったかが書いていました。
お化け屋敷がフィクションとわかっていても、怖いのはそのせいですね。
で、人はその固定観念を守るために何でもする。
端から見たらそれが非常に馬鹿げていても。
お化け屋敷がフィクションとわかっていても、彼女を置いて逃げ出しちゃうのは、いい例ですね。
我が家のお風呂場は、ガラス戸が娘の手を挟んだり、旦那が掃除中に倒れたり、結構呪われているのですが、ある時期、ドアノブの調子が悪くて、なかなか閉まらなかったり、逆に開けにくくなっていたことがあります。
早く直してくれと、旦那をせっついていたのですが、別にさほど困る訳でもなく、日々を過ごしていました。
もうおわかりでしょう、最悪のタイミングでそれは起こりました。
ある冬の夜。
旦那が「ちょっと寝るわ」と、夜の昼寝をしていたときのこと。
私はその間にお風呂に入り、出たら旦那を起こすことになっていました。
湯船で暖まって、さて出ましょうと思ったら、ドアが開かない。
ドアが開きません。
押しても引いても右にひねっても左にひねっても、開きません。
ドアノブがいうことを聞かないのです。
裸の私はそうこうしているうち寒くなってきて、「とりあえずもう一度暖まろう」と、湯船につかりました。
満を持して、湯船から出た私は、もう一度ドアノブをひねって開けようとしました。
開きません。
ガチャガチャしても、押しても引いても開きません。
浴室に閉じ込められたたまもの運命や如何に。
続く。