こんにちは。
T・たまもです。
井上ひさしの小説「ナイン」を取りあげています。
新道少年野球団のかつてのキャプテン、正太郎くんは今や詐欺師です。
中村さんは許せません。
一方、チームメイトだった英夫くんの見かたは異なります。
これは、どうやら他のナインのメンバーも同じですが、正太郎くんの詐欺を許している。
なぜなら、その詐欺をきっかけに自分が良い方へ変化しているから。
つまり、正太郎くんは
「結局は、ぼくらのためになることをして歩いている」。
「わたし」がそこまで信頼できるようになるものかと驚くと、英夫くんは見ていただけの人にはわからない絆だと言います。
英夫くんは高校生のとき、西東京大会で準優勝をしています。
決勝戦、甲子園まであと一歩まで行ったということ。
これは見逃しがちなことですが、四ツ谷は新宿区内、東東京です。
ということは、英夫くんは学区外の高校へ、おそらくは、中学時代の活躍を評価されて、西東京地区の私立強豪校へ進学したということです。
その、高校3年生の試合さえかすむほどの、強烈な体験を共有した者だけの絆。
指導書では、この「絆」が主題であると書いてありました。
題もナイン、ですしね。
でも、この絆は失われたものです。
確かに存在し、今も存在して欲しいけれど、失われて二度と戻ってこないもの。
正太郎くんがどんな思いで昔の仲間を騙しているのかはわからない。
でも、そこには
「昔の仲間なら騙されてくれる」
という、おごりとも甘えともつかないものが感じられます。
つまり、かつての「絆」を信じているという意味では、英夫くんと変わりないのです。
ラスト、「わたし」は西日の差さなくなった野球場で郷愁に駆られます。
濃密すぎるほどの人間関係が生まれるのは、西日のような困難や不便があったから。
何事につけ、便利で効率的な現代には望むべくもありません。
その郷愁を、
「切なさ」
と、呼ぶのだろうと、私は思うのです。