教材研究
こんにちは。 T・たまもです。 今日は、久方ぶりに教材研究のお話です。 教材は詩です。 過日、谷村新司さんが亡くなりました。 私はアリスのファンというわけではありませんが、ヒット曲くらいは知っています。 「昴」なんて、好きな先生が多くて、カラオ…
こんにちは。 T・たまもです。 昨日の続きです。 五木寛之の「雪の中の凍った本」というエッセイを取りあげています。 現在では、「本を読むことは人間にとってほんとうに必要なことだろうか?」と、考えることもある、と、五木さんは続けます。 「好きで読…
こんにちは。 T・たまもです。 教材研究の古いノートを見ていたら、五木寛之の「雪の中の凍った本」というエッセイが目に入りました。 10ページくらいある、教科書に載るエッセイとしてはちょっと長めの文章です。 読書好きな少年であっても、比較的活発な…
こんにちは。 T・たまもです。 今日は、現代文の中から「お月見」を取りあげてみましょう。 「お月見」は、小林秀雄の短いエッセイです。 私が使った教科書では「天の橋立」という作品と一緒に採録されていました。 小林秀雄といえば、20世紀日本を代表す…
こんにちは。 T・たまもです。 茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」を取りあげています。 第5~7連では、敗戦ですべてがひっくり返った中での混乱した状態が描かれます。 ジャズを聴いた時の衝撃を「禁煙を破ったとき」にたとえています。 「…
こんにちは。 T・たまもです。 先週、茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」について、お話を始めました。 今日はその続きです。 自分の住む町が壊れていく、知っている人が次々といなくなるという体験は、大きなストレスになります。 また、自分…
こんにちは。 T・たまもです。 8月ももう半ばですね。 今回は、戦争文学を取りあげましょう。 茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」です。 「わたしが一番きれいだったとき」は、戦時中に女学生だった作者が、一番美しかるべき青春時代を戦争に…
こんにちは。 T・たまもです。 中村真一郎の評論、「伝統」を取りあげています。 昨日は、日本の西洋建築が実は非常に日本的な、「折衷主義の」「自然発生的な」「雑多な」特徴を持っていることを論じたところまでお話ししました。 さて、さらに中村さんは…
こんにちは。 T・たまもです。 今回は、中村真一郎の評論「伝統」を取りあげてみましょう。 改めて読んでみて、まあ、ずいぶん歯ごたえのある文章をやっていたのね、と、若き日の自分と高校生に感心してしまいます。 この「伝統」は、建築論なのですが、日…
こんにちは。 T・たまもです。 井上ひさしの小説「ナイン」を取りあげています。 新道少年野球団のかつてのキャプテン、正太郎くんは今や詐欺師です。 中村さんは許せません。 一方、チームメイトだった英夫くんの見かたは異なります。 これは、どうやら他…
こんにちは。 T・たまもです。 先週からの続きです。 井上ひさしの小説「ナイン」を取りあげています。 今日は内容に入りましょう。 お話は「わたし」の昔の下宿先でもある中村畳店を訪れるところから始まります。 最近のプロ野球の話から、18年前、英夫…
語り手である「わたし」は、放送局で仕事をする中年男性で、明らかに作者自身を投影しています。 彼が訪れる「中村畳店」も実在するそうです。 が、ご主人の「中村さん」と、長男の「英夫くん」は、モデルはいるとしても、架空の人物と考えて良いでしょう。 …
こんにちは。 T・たまもです。 今回は現代文、文学的文章です。 井上ひさしの小説「ナイン」を取りあげてみたいと思います。 高校1年生の小説教材としては定番ですね。 第一に、回想の形式を取っているので、対比がしやすい教材です。 第二に、リトルリーグ…
こんにちは。 T・たまもです。 今週は「コンコルドの誤り」という評論を取りあげています。 昨日は、「過去の投資がもったいなくて、損切りできずに投資を続けてしまう状態」についてお話ししました。 生物は「現在」と「現在の行動で起きる未来」しかない…
こんにちは。 T・たまもです。 昨日の続きです。 「コンコルドの誤り」という評論を取りあげています。 コンコルド開発とその商業的失敗に由来する心理現象。 その心理現象とは、 「投資を続けることが損失につながるとわかっているのに、それまでの金銭的…
こんにちは。 T・たまもです。 今回は、長谷川眞理子の「コンコルドの誤り」という評論を取りあげてみようと思います。 筆者の長谷川眞理子さんは、進化生物学者、総合研究大学院大学教授と、当時の教科書にはあります。 専門は行動生態学だそうで、現在は…
こんにちは。 T・たまもです。 昨日の続きです。清岡卓行の「手の変幻」という作品を取りあげています。 今日は構成について。 三段構成の評論です。 私は当然のように尾括式と思っていたのですが、ある指導書に頭括式の構成と書いてあったことがあって、も…
こんにちは。 T・たまもです。 今回は、清岡卓行の「手の変幻」という評論を取りあげてみたいと思います。 筆者の清岡卓行さんは、詩人です。 小説家としても1969年に出した「アカシアの大連」で芥川賞を受賞しています。 この評論は本当に、もはや古典…
こんにちは。 T・たまもです。 今週は「なめとこ山の熊」の授業のデザインについて考えています。 物語の初めでは、小十郎は家族の生活のため、猟師であることを受け入れています(=人間は熊とは違うと思っている)。 それが、熊の母子の会話を聞き、撃つ…
こんにちは。 T・たまもです。 年をまたいでしまいましたが、「なめとこ山の熊」の続きです。 今日は、授業のデザインについてお話ししましょう。 「主人公がどんな出来事によってどんな心情変化をするのか」 ということを、小説の場合、生徒が理解する必要…
こんにちは。 T・たまもです。 きのうのつづき、仏教思想について。今日は利他行。 利他行とは、文字通り他を利する行動が仏道修行になる、ということです。 究極の利他行が自己犠牲(菩薩行というそうな)ということになります。 お釈迦様が前世で、飢えた…
こんにちは。 T・たまもです。 先週からのつづき、「なめとこ山の熊」。 今日は、仏教思想について。まずは輪廻(りんね)。 輪廻、いわゆる生まれ変わりは輪廻の輪から抜け出すことで完了(=成仏)します。 厳密に言うと宗派によって違いはあると思います…
こんにちは。 T・たまもです。 今日は「なめとこ山の熊」のつづきです。 今日は熊狩りについて。 東北地方の熊狩りと言えば、マタギと呼ばれる人々の猟が有名です。 小十郎のいでたちもマタギに似ています。 調べてみると、かなりの部分で主人公・小十郎の…
こんにちは。 T・たまもです。 今週は宮沢賢治「なめとこ山の熊」を取りあげています。 長くなりそうですが、おつきあいくださいませ。 宮沢賢治の作品は推敲途中と思われる作品が多くありますが、この「なめとこ山の熊」もそのひとつです。 矛盾があったり…
こんにちは。 T・たまもです。 今回は宮沢賢治の「なめとこ山の熊」を取り上げてみましょう。 宮沢賢治の作品では、詩「永訣の朝」、小説「セロ弾きのゴーシュ」「なめとこ山の熊」あたりが、高校国語の教材としては定番です。 小学校では「オッベルと象」…
こんにちは。 T・たまもです。 昨日の続きです。 谷川俊太郎「兵士の告白」、三好達治「灰が降る」、茨木のり子「私が一番きれいだったとき」を授業で扱ったというお話をしています。 「灰が降る」は、米ソの冷戦時代を反映して、核戦争後の世界をイメージ…
こんにちは。 T・たまもです。 原爆をテーマにした文学の話が続きました。 今日は、B「第二次世界大戦以外」の教材で、授業をしたお話をしたいと思います。 詩歌の学習をするに当たり、どうせならということで、すべて戦争をテーマにした詩にしたことがあ…
こんにちは。 T・たまもです。 八月なので、平和に関する教材について考えています。 原爆の教材だけでこんなに長くなるとは。 今日は、「長崎の原爆」を扱った作品について。 第二次世界大戦のうち、2「長崎の原爆」を扱った作品で私が授業をしたことがあ…
こんにちは。 T・たまもです。 八月なので、平和に関する教材について、ということで先週の続きです。 「広島の原爆」を主題にした作品でもうひとつ授業したことがあるのは現代詩。 石垣りんの「挨拶」です。 「挨拶~原爆の写真に寄せて」は、職場に広島の…
こんにちは。 T・たまもです。 昨日は投稿した気でいたら、なんと単に書き忘れていたという始末。 忘れないように、なるべく同じような時間に投稿するようにしているのですが、ちょっと野暮用が入ったりすると、てきめんに忘れます。小学生か。 さて、とい…