こんにちは。
T・たまもです。
「伊勢物語」の「筒井筒」の段を取りあげています。
妻の真心を知って、夫(主人公の男)が浮気相手のところに通うのをやめたところまでお話ししました。
そこまでで採録をやめている教科書も多いですが、実は続きがあります。
浮気相手、といっても、平安時代は通い婚、現代の感覚で言う「愛人」とか、「お妾さん」とは少し違うでしょう。
もし自分より条件が良ければ、相手の方が「正妻」になってしまう。
妻にとって、感情的には嫉妬の対象ではあっても、違法行為でもなければ、制裁の対象でもかなかっただろうと思います。
嫉妬ゆえに制裁や呪詛の対象にはなったらしいですけどね。
この筒井筒のヒロインは、けなげさが売りなので、そんなことはしなかったと思われます。
夫が「グッとくる」ポイントを知っていたということでしょう。
さて、本題ですが、愛人たる「高安の女」(以下、高安さん)は、経済的に裕福であることが、夫にとって一番の魅力だったはずです。
高安さんにしてみれば、自分の方が正妻、という感覚が、もしかしたらあったのかもしれません。
滅多に来てくれなくなっても、いや、だからこそ来た時は精一杯「妻」したのかもしれない。
でも、今や、妻と比べて「いい女」かどうかが男にとっては魅力のポイントになってしまったわけです。
で、この夫の「いい女」ポイントは、「みやび」かどうか。
高安さんは致命的なミスを犯します。
つづく。