こんにちは。
T・たまもです。
「伊勢物語」の「筒井筒」の段を取りあげています。
愛人の高安さんは、久しぶりに来た男の気を引こうとして、かえってミスを犯しました。
男が求めているのは「みやびな女」であること。
したがって、かいがいしくご飯の給仕をするとか、お金持ちの貴婦人らしからぬ行動をしてはいけなかったのです。
私はよく、
「叶姉妹みたいな女性を恋人にして、その彼女が台所でお茶漬けすすっているところとか見たらどう思う?」
と、生徒に聞いていました。
「う~ん・・・ちょっとがっかりするかも」
と、申し訳なさそうに答える生徒。
もちろん、スッピンのままゴミ捨てに行こうが、しゃがみ込んで床磨きをしようが、家事をする女性をおとしめるわけではありません。
そういう姿に
「女子力高し!」
と感激するか、
「所帯じみていてパス!」
と思うか、好みの違いです。
女性だって、殿方が自分をさらってくれるマッチョなタイプか、一緒に死んでくれるかいと泣きつく優男か、どっちがいいか好みが分かれるでしょう?
え、無茶言ってますか?
まあ、それはさておき、どうやら、在原業平、というか、当時の貴族の人々はどんなに苦しくとも、
「それが何か?」
と、なにげに見せる風流な姿の方が
「みやび」
だったらしいんですね。
あら、すでに「いき」の萌芽がここに・・・と、私などは思ってしまうのですが。
ちなみに、みやびには「雅」という字を当てますが、本来は
「宮び=都会的」と言う意味だったとか。
高安さんに必要だったのは、
「経済力に見合う鷹揚さ」だったわけです。
どうせなら自分でご飯をよそうよりは、山海の珍味を並べさせて
「奥様の愛情に比べたら、お金がかかっているだけでつまらないものですわ・・・」
と、嘆いてみせる方がよほど主人公の男の心をそそっただろうと思われます。
さても男女の機微は難しいものですね。