こんにちは。
T・たまもです。
今日は、漢文。.
孟子の「恒産なければ恒心なし」を取りあげてみましょう。
孟子曰、
「無恒産而有恒心者、惟士為能。
若民則無恒産、因無恒心。
苟無恒心、放辟邪侈、無不為已。
及陥於罪、然後従而刑之、是罔民也。
焉有仁人在位、罔民而可為也。
ことわざとしても割と有名ですね。
「一定の収入がない者は、平常心を保ちにくい」
みたいな意味で知られているでしょうか。
「うんうん、確かに、収入が不安定なら精神も不安定になるよね」
と、とても現代的に解釈をすることができる点で、古典ってすごいと思います。
孟子は中国戦国時代の思想家。
この方のお母さんは「孟母」という超教育ママで、もしかしたら孟子本人より有名かもしれません。
息子の良い教育環境を求めて何回も引っ越ししたり(孟母三遷)、息子が学業を放り出して帰ってきたとき、作りかけの大切な織物をぶった切って「同じことだろ!」と戒めたり(孟母断機)なさったそうな。
話を戻しますと、これは、単に一定の収入を国民に保証するべきだという話ではありません。
国家の指導者は国民のココロを理解して政策を実施しなくてはいけないというお話です。
たとえ恒産がなくとも恒心を保てるのは教育を受け道理をわきまえた者(=士)のみ。
一般大衆(=民)は、そうではない。
なのに、恒産の手段を与えられず、ふらついた民が罪を犯したからと罰するのは罠にかけるようなものである。
いやしくも国家の指導者たる者(=仁人)がすることではない。
まあ、理屈はわかるのですが、国家の指導者は仁人(=仁徳を備えた人)である、という前提なのが現代とはちがうところですね・・・。
と、授業では苦笑いしていたものでした。
いや、今と同じく昔だって、指導者が愚者だったり悪党だったりはあるはずなんですけど。