こんにちは。
T・たまもです。
昨日の続きです。
「去来抄」を取りあげています。
臨終間際の師匠(芭蕉)を題材に、俳句を作れと言われた弟子たち。
「うづくまる薬缶のもとの寒さかな」
は、丈草の作品です。
他には
「病中のあまりすするや冬ごもり」去来、
「引張りてふとんぞ寒き笑ひ声」惟然、
「おもひ寄る夜伽もしたし冬ごもり」正秀、
「鬮(くじ)とりて菜飯たかする夜伽哉(かな)」木節、
「皆子也(なり)みのむし寒く鳴き尽くす」乙州、
「しかられて次の間へ出る寒さかな」支考、
「吹井より鶴を招かん時雨(しぐれ)かな」其角。
芭蕉は、丈草の作品のみを
「でかした」
と褒めました。
翌日、芭蕉は息を引き取ります。
私は俳句に詳しいわけではありませんが、確かに見比べてみると、
「うづくまる」
の語を選んだセンスは素晴らしいと思います。
その五文字だけで、悲しみや寂しさや不安が、寒さとなって襲ってきているのがわかります。
薬缶とありますから、薬を煎じている、つまり火のそばにいるにもかかわらず。
薬缶を見つめていたのが伏し目になり、ずるずるとしゃがみ込んで顔を腕に埋めて泣きそうになっているのが見えるようですよね。
視点は支考の作品も同類ですが、
「しかられて」
が、今ひとつイメージが狭い。
其角の作品は、カッコ良すぎて、芭蕉がこのとき求めたものとは方向性が違ったのではないかという気がします。
去来は、
「かかる時はかかる情こそ動かめ」
と、述べています。
師匠が死の床にあるようなときは、ただただ悲痛な感情になるもの。
その究極の心情をストレートに詠むことが大切だったのだな、と、芭蕉の真意を推し量るのでした。
芭蕉の死後、蕉門は衰えていきます。
芭蕉が偉大すぎたのか、「芭蕉」を受け継げる弟子がいなかったのか。