こんにちは。
T・たまもです。
「枕草子」から、「ありがたきもの(めったにないもの)」を取りあげています。
今日は、3番目の「ありがたきもの」から。
本文から行きましょう。
主そしらぬ従者(ずさ)。
主人の悪口を言わない家来、というのも、「主人」を上司や先輩に置き換えるととてもウケます。
私が良く引き合いに出していたのが、「校長先生」。
「どんなにいい人でも、尊敬出来る人でも、やっぱりときたま「人が良すぎるのよね」くらいは私も言うわ」
ニヤニヤする生徒たち。
「と聞いて笑っているキミたちも、先輩の悪口言ったことがあるでしょう」
と言うと、そっぽを向く生徒たち。
「言いませんよ~」
「先輩の前ではね~」
それとも、めったにいない「従者」だったのかしら。
つゆのくせなき。
かたち、心ありさま、すぐれ、世にふるほど、いささかの疵(きず)なき。
クセの全くない人、欠点のない人がめったにいないというのも、リアル感があります。
この人は完璧そう、と思っても、つきあいが長くなると見えてきますよね。
天然の宝石のような人がめったにいないのなら、努力して欠点を克服した人も、めったにいないはず。
おなじ所に住む人の、かたみに恥ぢかはし、いささかのひまなく用意したりと思ふが、つひに見へぬこそかたけれ。
当時の宮仕えは住み込みですから、24時間勤務。
サービス残業も休日勤務も、何だったら夜中に呼び出しもしょっちゅうあったでしょう。
封建社会では身分の高い人の命令は絶対です。
対同僚、対主人、どんなに努力してパーフェクトであろうとしても、月日が経つうちにほころびが出てくるでしょう。
それは、気が緩む、ということでもあるし、気を許す、ということでもあります。
現代と変わりませんね。
つづく。