こんにちは。
T・たまもです。
昨日、「今昔物語集」のなかの「検非違使忠明」について書きました。
今日はその続きです。
主人公の忠明は京童たちに追いかけられて清水寺の舞台から飛び降りる羽目に陥ります。
清水寺は修学旅行などで、東京の高校生たちにもおなじみの場所。
「そこから飛び降りるって、ホントにできるの?」という顔です。
忠明は脇に挟んだ蔀(しとみ)に受ける風の抵抗を利用して、軟着陸に成功するのですが、そこで「しとみって何?」という疑問が起きます。
蔀とは簡単に言えば現代の雨戸に相当するでしょう。
でも、今どきは雨戸を知らない生徒も結構いて、説明に難儀します。
ようするにベニヤ板くらいの大きさの分厚い板を翼のようにして広げて、飛び降りたわけですが、度胸が良いだけでできることではありません。
風の抵抗をパラグライダー並みに受けるためには、相当の腕力で板をコントロールできなければなりませんからね。
「ただものではないね」と私が感想を述べると、
「まじですか」と真顔になる生徒たち。
「本当の話、として目撃者が人に話したということです。
どれほど話を盛ってイロがつけてあるかはわかりません。
目撃者は一人じゃないから、大勢がそれぞれ話す中で、一番面白い話(一番事実に近い話ではなく)が伝わっているとも考えられます。
説話というのはそういうものです」
実は、授業の最初に「説話」とは、うわさ話のことだという説明をしてあります。
「都市伝説か~」とか、「週刊誌だね」と生徒が現代の言葉に置き換えられれば、授業はもう半分は成功と言えるでしょう。