こんにちは。
T・たまもです。
久方ぶりに古典の一節など読んでみたいと思っています。
今回は「更級日記」にしようと思うのですが、本文に入る前に、作者について。
「更級日記」の作者は、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。
通称サラちゃん。
11世紀初期の人です。
姓でわかるとおり、菅原道真の子孫です。
学者の家系ですね。
母方の親戚には藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは・「蜻蛉日記」の作者)なんかもいたりして、教養深い一族の中で育った人のようです。
「浜松中納言物語」や、「夜半の寝覚」の作者とも言われています。
サラちゃんというのは、授業でいちいち「すがわらのたかすえのむすめ」というのが大変なので、私が付けていた愛称です。
ちなみに、お姉さんは「しな子お姉さま」と呼んでいました。
当時の女性は、公式文書に名前の載るお妃たちは別として(それだって読み方は安定していません。「中宮定子」だって「さだこ」なのか「やすこ」なのかわからないから「ていし」です)、貴族であっても名前が伝わっていないことが多いです。
家系図でさえ「女」になってるって、どうなんでしょう?
これは、
「女の名前を載せる必要はない」
という男尊女卑とも考えられるし、姫君を守るために
「夫と家族以外に正体を見せない」
ようにしていた、とも考えられます。
貴族の男の子は成人すれば宮中で何かしらのお役目に就きますから、諱(いみな・成人してからの公式の本名)が公式文書(基本的に漢文)に載ります。
女の子はお役目に就いても、本名はもちろん秘されます。
(先述の理由で)
それまでの呼び名は家族内でのものですから使わない。
(たぶん、「かぐやひめ」みたいな名でしょうから、女性とは言え、お役人としては和風すぎるのでしょう)
とすると、中国風というか男性風に読めるような「清少納言」的な宮中でのビジネスネームを付ける必要があったと考えられます。
サラちゃんも宮仕えをしたことがありますから、きっとそういう名前を付けたのではないかと思うのですが・・・。
伝わっていないのは、さほど目立つ女官ではなかったと言うことでしょうか。
それともそれが「菅原孝標女」?
・・・長すぎる・・・。
というか、私ならいちいち父親の名前で呼ばれるのは嫌だわ・・・。
自分で名前が選べるならば、源氏オタクなら「小紫式部」とか「藤太夫」くらい名乗りたいものだと思うのは、現代的な考えでしょうか。