こんにちは。
T・たまもです。
先週からのつづき、「なめとこ山の熊」。
今日は、仏教思想について。まずは輪廻(りんね)。
輪廻、いわゆる生まれ変わりは輪廻の輪から抜け出すことで完了(=成仏)します。
厳密に言うと宗派によって違いはあると思いますが、ざっくりとした話として生徒に聞かせるトリビアだと思ってください。
六道と呼ばれる様々な世界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天人)を、魂がその生のあり方に応じて転生していくわけです。
現世で悪い行いをすると来世は悪い世界、悪い環境、悪い運命に生まれ変わる。
その逆もある。
同じ人間界の時もあるし、そうでないこともある。
で、極楽に仏として生まれ変わったとき、輪廻をしなくて済むようになる。
その生での生き方そのものが仏道修行というわけですね。
が、前世の記憶を持って生まれ変わるわけではないので、前世での生き方を反省して、教訓にできるわけではありません。
現世でどういう生き方をするのかが、来世に影響を与えると考えながら生きていくしかないわけです。
それだって、別に来世で現世の記憶があるわけじゃないので関係ないといえば関係ない。
現世の辛さは自業自得、来世のために自己責任で我慢しろと言われても、現代っ子なら「おかしいでしょ」としか言いません。
いや、実際、社会の責任を個人に押しつけているだけです。
せめて、現世の辛さは現世のうちに解決したいよね。
小十郎は熊撃ちの辛さを「前世の因果」と言うのです。
「猟師」という職業も、貧困も、つまりは自分の努力の及ばぬなにかによってもたらされているし、どうにかできるものではないとあきらめています。