こんにちは。
T・たまもです。
中村真一郎の評論、「伝統」を取りあげています。
昨日は、日本の西洋建築が実は非常に日本的な、「折衷主義の」「自然発生的な」「雑多な」特徴を持っていることを論じたところまでお話ししました。
さて、さらに中村さんは建築の「日本的な美」の原型は寝殿造り、「王朝の美」ではないか、と仮定しています。
その後裔が簡素の極致「桂離宮」と、華麗の極致「日光東照宮」だと。
現代のビル群に見られる無邪気さ、繊細さ、優雅さもまた、後裔の一つの形ではないか、と中村さんは結んでいます。
それが、たとえコンクリートでできていても。
最新の技術を使っていても。
この文章は昭和45年の発表。
50年も前の作品とは思えない示唆に富んだ文章です。
ガラパゴス化、という言葉も浮かんだたまもです。
日本人は輸入したモノ、コトを日本的美感によって濾過してしまう。
それは「洗練」になることもあれば「歪曲」になることもある。
日本では、今や畳のない家も当たり前となり、トイレも洋式便座、台所はクッションフロアにシステムキッチン。
それでも土足で室内は歩かず、便座には洗浄機をつけ、炊飯器は必ず置いている。
それを「混乱」ととるか、「ハイブリッド」ととるか。
今日、朝日新聞で新国立競技場についての論考を読んでいました。
そうしたら、「日本はアイコン的に際立つ建築を好まないのかもしれない」というようなことばがありました。
最初のザハ案が一般に不評だったことを受けての言葉だったと思います。
ああ、なるほど、日本人には名古屋城のような建築は受け入れても、ザハ案のような建築は違和感があるのだな・・・と思いました。
まだまだ、建築で日本論が書けそうです。