T's Cafe

小さな私の体験が、もしかしたら大きなヒントになる・・・かもしれません。前は学校の先生、今は自適のご隠居とおしゃべりしましょ。

日本の西洋建築は全く日本的・・・? 中村真一郎「伝統」その1

 こんにちは。

 T・たまもです。

 

 今回は、中村真一郎の評論「伝統」を取りあげてみましょう。

 改めて読んでみて、まあ、ずいぶん歯ごたえのある文章をやっていたのね、と、若き日の自分と高校生に感心してしまいます。

 この「伝統」は、建築論なのですが、日本論です。

 大学入試で出やすいとされる評論のテーマの一つ。

 日本論は基本的に西洋との対比で展開することがほとんどです。

 だれでもやったことがあるでしょう、「水の東西」。

 あんな感じです。

 中村真一郎は、小説家、評論家、脚本家、詩人と多彩な活躍をした方です。

 私は、詩人として中村さんを知ったのですが。


 本文は、ヨーロッパで暮らしていた友人が、帰国してきて、日本の西洋建築が

「全く日本的で驚いた」

と感想を述べたというところから始まります。

 中村さんは、日本の近代的建築物を

「西洋の直輸入」

と信じ切っていたので、逆にびっくりします。

 というより、友人の感想を聞いて、自分の中にある何の根拠もない思い込みに気づかされた、というべきでしょう。

 そこから、中村さんの「日本の洋風建築」についての考察が始まります。

 

 明治初年、建築にとどまらず、風俗や政治形態や工業から兵制から、日本は西洋の模倣をしていました。

 日本が西洋列強に対抗するために明治政府が取った政策です。

 そのために日本の近代化がある意味偏ってしまって、また別の問題も引き起こすわけで、それは近代日本の大きな論点となります。


 本文に話を戻しましょう。

 建築に話を限れば、明治初年の「西洋の完全な模倣」は時代と大衆の要求によって、よく言えば折衷主義、悪く言えば中途半端になってしまった。

 しかも、第二次大戦で破壊されたその建築は「再建」されるのではなく別のものを作るという形で「復興」した。

 西洋の都市建築は

「計画的」「統一性」、日本の都市建築は

「自然発生的」「雑多」というキーワードが有ります。

 そして絶えず新しい建物の建築で様相を変えている・・・。

 私はこの部分を読んだ時、「普請中」という言葉が浮かびました。

 そう、森鴎外の小説にありましたよね、

「日本はまだ普請中」。

 日本は個人主義が根付かないと言いつつ、都市全体のデザインのようなところには計画を立てず個人に任せるところがあるのでしょうか。

 つづく。