こんにちは。
T・たまもです。
先週、茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」について、お話を始めました。
今日はその続きです。
自分の住む町が壊れていく、知っている人が次々といなくなるという体験は、大きなストレスになります。
また、自分が信じてきたもの、そのために犠牲を払ってきたことがひっくり返るという体験も、大変なストレスです。
その体験が成長過程の体験であれば、人格形成に大きな影響を与えることでしょう。
「若い」とは、男女を問わず一番美しくエネルギーに満ちて、自己実現に向かって努力する時を指すでしょう。
いい意味で「すべては自分のために存在する」と思っている時期です。
だから、女性であればきれいで、かわいくて、みんなにちやほやされて、主役でありたいと思う。
コンプレックスがあるとしても、いつかきっとステキなレディになれる、と思っているもの。
自分が宝石の原石であることに疑いは抱いていない。
あ、そういう意味では男性も、同じかも。
だから、若い人々が自己肯定感をめちゃめちゃにされるようなことは、あってはならないのだと思います。
それが個人的な努力で解決出来ないような、社会構造や、戦争のようなものは、特に。
詩の第1連から第4連までは、戦争中に起きたことを描写している部分です。
非常時の社会が彼女に取っての平常となっていること。
その状態を当然、というよりむしろ積極的に受け入れている少女時代が異常であること。
異常であることにさえ気づかない自分。
現在の自分が、当時のそういう自分を振り返っています。
ここには、悲しみと言うより怒りを感じます。
つづく。