T's Cafe

小さな私の体験が、もしかしたら大きなヒントになる・・・かもしれません。前は学校の先生、今は自適のご隠居とおしゃべりしましょ。

八月なので、平和に関する教材について その7

 こんにちは。

 T・たまもです。

 原爆をテーマにした文学の話が続きました。

 今日は、B「第二次世界大戦以外」の教材で、授業をしたお話をしたいと思います。

 

 詩歌の学習をするに当たり、どうせならということで、すべて戦争をテーマにした詩にしたことがあります。

 茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」が教科書に出ていたので、それにあわせたのです。

 学習したのは谷川俊太郎「兵士の告白」と三好達治「灰が降る」です。

 これは教科書ではなく、私が探してきたモノです。

 プリントにはもうひとつ入れたのですが、授業時数の関係で割愛した記憶があります。

 
 「兵士の告白」は、どの戦争という設定があるわけではありません。

 ただ、こういった戦争の詩にはめずらしく兵士自身の独白の形式をとります。おのれの兵士としての仕事=殺人に対して激しい後悔をするという内容です。

 短い詩ですが、全編がカタカナで書かれ、分析のしがいのある作品です。

 授業の時は、

「この詩を読んで気づいたことをひとつあげなさい」と指示し、教室にいる全員に言わせました。

「何でもいいんですか」

「何でもいいです。見た目でも中身でも。一回はパスしてもいいです。ただし、前の人と同じことは言ってはいけません。」

ということで、最初のうちは

「全部カタカナ」

「戦争してる」みたいな表面的な気づきが続きました。

 でも、表に出ている表現がこの兵士の内面に結びついているということに、生徒は気づき始めます。

「敵を殺したことを後悔している」(後悔という言葉は詩の中には出てきません)

「本音を言っている」

「苦しんでいる」

「殺すのにも仁義?納得のいく理由が欲しいんだ」というような掘り下げを経て、最後には

「結局殺すことしか考えていないじゃん」という気づきが出たときには、私はそこまでの言葉が出てくるとは予想していなかったのでとても驚きました。

 事前の教材研究では「人殺しをする兵士の苦悩」を最後に板書しようと思っていました。

 この生徒の言葉で、「殺さない」という選択肢さえ頭から抜け落ちてしまう、というか、洗脳されてしまっている兵士の姿が浮かび上がり、「戦争の狂気」という一段上のところまでたどりつくことができました。