と、聞かれたら、どう答えるべきなのでしょうか?
こんにちは。
T・たまもです。
今日は、古典の勉強について思うことです。
まあ、この21世紀に「源氏物語」とか「枕草子」とか、趣味で読む人がたくさんいるとは思えないし、別に「平家物語」や「忠臣蔵」を知らなくても生きていくのにさしつかえはない。
「人生が豊かになる」以外の効用があるかと聞かれたら、ないとしか答えようはありません。
昔、『高校の勉強がなんの役に立つのか』と生徒に聞かれた同僚が『役には立たないけどためになるよ』と答えていましたけど、むべなるかな。
国語であれば、契約書が読める程度に文字知識と読解力があれば騙される危険も少なかろうし、数学であれば、お買い得かどうかわかる程度に計算力があれば、日々の買い物に困ることもないでしょう。
そしてその程度なら中学校までに勉強します(身につくかどうかは別として)。
『「人生が豊かになる」以外の実際的な効用』があるコトなんて、はっきり言って高等学校以上の教科では学ばないと思う。
だからこそ義務教育じゃないわけですし。
でも現実には、これは通用しない論理なのかもしれません。
いまや大学でも『実学』がもてはやされ、卒業後の即戦力を養成しなければ学生は集まらないのでしょうから。
人文学がまるでご隠居の趣味のように扱われるのも仕方がないのでしょう。
「『源氏物語』は、世界最古の、そして日本最高峰の長編小説です」
「1000年もまえに、日本女性がこれだけ完成度の高い文学を作りました」
「そして、いまだ『源氏物語』を越える作品は出ていません」
古典の授業で、こう生徒に講義するとき、それでも学ぶ意義はないのだろうかと思うのです。
たとえ二度と古典には触れない理系の生徒でも、すっかり忘れてしまうとしても、学んでおくべき教養だと思うのは、私が国語を教えるヒトゆえの欲目でしょうか。