T's Cafe

小さな私の体験が、もしかしたら大きなヒントになる・・・かもしれません。前は学校の先生、今は自適のご隠居とおしゃべりしましょ。

やっぱり時代小説は楽しい。  読書の時間「だましゑ歌麿」

 こんにちは。

 T・たまもです。

 今日ご紹介する本は小説。


高橋克彦「だましゑ歌麿」文春文庫

 

 やっぱり時代小説は楽しい。と、改めて思った一冊。

 実在の有名人がたくさん登場するので取っつきやすいです。

 同心・仙波一之進のまっすぐな江戸っ子ぶりのカッコ良さ。

 絵師・歌麿の不思議クンぶりのおもしろさ。

 後の北斎・春朗の青春してる感じも、鬼平の「鬼」ぶりも、イケています。

(ちなみに、フジテレビがテレビドラマ化したとき、やっぱり鬼平は悪役に出来ないんだな~と、苦笑したのを覚えています。)

 登場人物が一筋縄ではいかないところが、リアルなんですけどね。

 ちなみに、一番のお気に入りは一之進の父・仙波左門の大胆不敵な爺様ぶりです。

 ネタバレしてしまうので書かないけれど、善人ゆえに怖ろしいと思った登場人物もいます。

 悪人よりひどいことが出来るから、テロリストなんだなあ、と妙に悲しくなったりしました。

 続編もたくさんあるのですが、それとわかる題名ばかりではないので、私も何冊か読みそびれています。

 これからの楽しみということで。

横書きにはコンマとピリオドを使う・・・? その2

 こんにちは。

 T・たまもです。

 昨日のコンマとピリオドの話のつづきです。

 そういえば、テンのつけかたで悩むのを珠数屋に馬鹿にされて、復讐した戯作者なんてはなしがありました。

 近松門左衛門でしたか。

 

 で、作文指導は基本的に縦書きの原稿用紙で始まります。

 当然、テンとマルで書くように指導します。

 まあ、高校生なら、ふつうはテンとマルで書くようになっているでしょう。

 書く位置(句読点は一番上のマスに書かないとか)のルールをわきまえていないことが時々あるくらいです。

 入試の作文・小論文は、最近横書きも増えてきました。

 マス目はありますから、コンマやピリオドとはちょっと相性が悪い。

 なによりも、横書きでコンマやピリオドを使っても減点されることはないでしょうが、縦書きでコンマとピリオドを使えば間違いなく減点されます。

 混ぜて使えばなおさらです。

 横書きでも混ぜたら減点されるでしょう。

 文体統一が原則であるように、一本の作文の中ではひとつのルールでやっていくのがマナーです。

 ここまで書けば、私がコンマやピリオドを無視してきたわけがおわかりでしょう。

 「横書きではコンマとピリオド」

 を教えれば、まちがいなく混ぜて書く生徒が続出します。

 内容で勝負させたいのに、こんなところで減点させたくはありません。

 「横書きはアラビア数字だが、単語の中の数字は漢数字(四字熟語とかね)」

 「縦書きではアルファベットは寝かせるが、頭文字なら縦書き(EUとかね)」

 というのも手強いルールもありますしね。

 

横書きにはコンマとピリオドを使う・・・? その1

 こんにちは。

 T・たまもです。

 この間、横書きの公文書で使われてきたコンマを見直すというニュースを新聞で読みました。

 横書きにはコンマとピリオドを使うのが本来の原則である、ということは、知らなかったわけではないけれど、公文書はそれがお達しだったんだ~と、なんだか新鮮に読んだニュースです。

 なんでも、最近はテンで書かれたものが多くなってきたので見直す、って、今ごろかいという感じですが。

 中学生のころ、数学の教科書で、テン(読点)とマル(句点)ではなくコンマ(読点)とピリオド(句点)が使われているのを見て、なんだか「おお、サンスウではなくスウガクっていう感じ?」と妙な感慨を覚えたのを思い出しました。

 考えてみれば、おそらく理科や社会科の教科書も、コンマとピリオドだったのかもしれません。

 が、数学が一番印象深い。

 で、何の話かというと、作文指導で私がコンマとピリオドはほぼ無視してきたという話なのです。

 新聞記事は横書きでもテンとマルが主流だと思います。

 国語の教科書と新聞といえば、数少ない縦書きの牙城。

 みんな作文を書くときにはお手本にしますね。

 したがって、縦書きでも横書きでもテンとマルが主流になるのは致し方ない。

 今、手元にある横書きの本を何冊か見てみました。

 数学系の本はコンマとマルを使っている本がほとんどです。

 コンマとピリオドは一冊だけ。

 その他はみんなテンとマルでした。

 つづく。

このたび、めでたく販売開始にこぎつけました・・・

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バルトの生活

 こんにちは。

 T・たまもです。

 

 この間から、RINEのスタンプを作っていたのです。

 クリエイターズスタジオという簡単なアプリがあって、誰でも作って販売できるんですね。

 へ~、面白そう、と作ってみたら、コレが楽しい。

 でも、クリエイターとしての登録はいつものように苦労しまして、挫折しそうになりました。

 なんで、スマホ画面であんなケシ粒みたいな字を読まなきゃいけないんだ。

 が、このたび、めでたく販売開始にこぎつけました。

 画像の猫は娘の愛猫のバルトくん(本名はGottwaldというそうである)。

 肉球が愛らしいでしょ。

 「スタンプを作るから、かわいい写真を送って」

 と言ったら大量に送ってくれました(親バカ)。

 そして、2ダースもスタンプを作るたまも(やっぱり親バカ)。

 ふたりで、バルトを世界のアイドルにしようと盛り上がりました(ただのバカ)。

 よろしかったら、ショップでT.Tamamoを検索してみてください。

  最近、RINEはお騒がせですけどね。

 登録と作成の苦労話はまたいつか。

本の形で電波は届く・・・ 読書の時間「想像ラジオ」

 こんにちは。

 T・たまもです。

 今日ご紹介する本は、小説。

 

いとうせいこう「想像ラジオ」河出書房新社

 

 杉の木のてっぺんからラジオ番組のオンエアを始めたDJアーク。

 誰にも聞こえない、でも誰にでも聞ける、誰でも参加できる、でも参加には条件がある。

 本当は参加条件を満たさない人々に、本の形で届いた電波なんだなあ、と、思いました。

 作者のいとうせいこうさんは、この作品について、

「実際の被災者ではない自分が、3.11を書く資格があるのか」

 と悩んだ、と聞きました。

 でも、「経験者」であることはひとつのアドバンテージではあろうけれど、だからといって必ず良い作品が描けるかといったらそうはならないと私は思います。

 なぜなら、文学は「想像力」が問われる分野だから。

 シビアなことを言えば、「体験できない世界」をいかにリアルに描くか、は、経験より想像がものを言う分野だと思います。

 もちろん、取材や研究は必要だと思いますけれども。

 だから、作家にはチャレンジする勇気と、読者にはそれを認める寛容が欲しいなと思います。

 この作品に関して言えば、私は「ラジオ」という媒体を選んだ作者のセンスはなかなかのものだと思いました。

(上から目線。すみません)

 まだ10年。

 DJアークは、どうしているのでしょうか。

収拾をつけたのは・・・? 「大鏡」 道隆と福足君 その4

 こんにちは。

 T・たまもです。

 昨日の続きです。

 「大鏡」の「道隆と福足君」のお話の途中です。

 福足君は、舞台に上がってから、「踊らない!」と反逆ののろしを打ち上げたのでしたね。

 そこで登場するのが道隆、福足君の伯父上です。

 おそらく、舞台は庭にしつらえられ、御殿の縁側に男性諸氏、御簾の向こうの座敷うちに女性陣が、息をのんで見物していたものと思われます。

 道隆は舞台に上がって、片手で福足君の腰を捕まえて引きつけ、もう片手で手を取って一緒に舞い始めます。

 原文では

「御手づからいみじう舞はせ給ひたりし(自分で手を取って立派に福足君にお舞わせになった)」

 とありますから、道隆自身も覚えのある舞だったのでしょう。

 福足君も「踊らない!」と叫んではみたものの自分一人では収拾が付かなくなっていたところだったでしょうから、あえて道隆のリードに逆らわなかったのではないでしょうか。

 というわけで、福足君の晴れ舞台は伯父上の機転でより素晴らしいものになり、お祖父さまもパパもほっとしましたとさ・・・めでたし。

 さて、ところで、このときの福足君は何歳くらいでしょう?

 一人で舞台がつとめられて、台無しにするタイミングをわかっている、でも収拾をつけることは出来ない、私は5~9歳くらいであろうと推測しましたが、いかがでしょうか。

 作者は最後に、これほど情愛深い道隆の家系が没落することを嘆きます。

 そして、気になる福足君のその後。

 頭に腫れ物が出来て亡くなったそうです。

 作者はそれを「蛇をいじめた祟りで」と書いています。

 福足君ならあり得そうと思うところです。

きっと何かやらかすにちがいない・・・?「大鏡」道隆と福足君 その3

 こんにちは。

 今日は、先週に引き続き、「大鏡」から、道隆と福足君のお話です。

 やっとこさ踊りをマスターして、兼家じいじのお祝い当日。

 福足君は衣装をつけ、髪を結い、おとなしく舞台に上がります。

 パパの道兼は、

「やっとやる気になった(あきらめてくれた?)か」

 とほっとしたでしょうね。

 もしかしたら、舞台上の福足君を見て、

「さすが我が息子、美少年じゃわい」

 なんて、ひそかに悦に入ってたかもしれません。

 が、そこはそれ、腕白で知られた福足君のこと。

 この子の腕白ぶりは、つとに世間では有名だったらしく、

「きっと何かやらかすにちがいない」

 と、誰もが期待(?)しています。

 なにしろ、大鏡の作者に

「いとあさましう、まさなう、あしくぞ(誠にあきれるほどにたちが悪くてやんちゃで)」

 と、盛大な形容をされているくらいですからね。

 授業でそう言うと、生徒たちはニヤニヤしたものです。

「さあ、福足君はこの後どうするでしょう?」

 と、聞くと、

「暴れた」

 と、楽しそうに答える生徒たちなのでした。

 

 舞台に上がり、楽士たちがチューニングを始めてから、つまり誰も手が届かないところに来てから、

「や~だよ、ぼく踊らない!」

 と、福足君は叫んで、髪をくしゃくしゃにして、衣装を引きちぎり、仁王立ち。

 さすが、やんちゃ坊主は効果的な時機と方法を心得ています。

 道兼パパは茫然自失。

 周囲の見物客たちは期待通りではあるものの、だからといって福足君をなだめるとか追い出すとかできるわけでもありません。

 なにしろ主役の兼家じいじの孫ですからね。

 気まずい沈黙が流れたことでしょう。

 つづく。