こんにちは。
T・たまもです。
今週は宮沢賢治「なめとこ山の熊」を取りあげています。
長くなりそうですが、おつきあいくださいませ。
宮沢賢治の作品は推敲途中と思われる作品が多くありますが、この「なめとこ山の熊」もそのひとつです。
矛盾があったり、言葉が足りないところがある作品も多いです。
矛盾はあるがスルーされている部分のひとつに、小十郎の年齢設定があります。
ちょっと細かい話になりますがご容赦ください。
作中には「小十郎が四十の夏」に、家中が赤痢にかかり、「小十郎の息子とその妻も死んだ」とあります。
また、現在は「九十になる年寄りと子どもばかりの七人家内」とあります。
そうすると小十郎の孫は五人、小十郎が四十歳の時点で五人孫がいるとすると、息子が当時二十歳とすれば、息子は少なくとも十五歳で結婚し、年子で子どもが生まれていていたことになります。
(五人の子のうち、双子が二組いるとしても十七歳から毎年子どもが生まれた計算になる。こちらのほうがまだあり得そう?)
息子が当時二十五歳とすれば、小十郎が十五歳の時に息子は生まれたということになります。
いくら結婚が早い時代とはいえ、貧困階級でこの早さは現実的ではありません。
小十郎の母親は四十五歳で小十郎を生んだことになります。
末っ子(小十郎という名前ですしね)ならあり得る年齢ですが、やはり不自然です。
一番年かさの孫がまだ小十郎に付いて猟に行っていない(十五歳にはなっていない)ところをみると、小十郎の息子が死んでから五年後くらいの設定でしょうか。
そうするとお話の始まりは小十郎は四十五歳くらい。
若すぎません?
これが五十五歳ならまだ納得できるんですけどね(私としては、六十歳でもいいかなあと思います)。
計算上も矛盾なく、体力的にも精神的にも大きく疲れが出てくるお年頃。