T's Cafe

小さな私の体験が、もしかしたら大きなヒントになる・・・かもしれません。前は学校の先生、今は自適のご隠居とおしゃべりしましょ。

アンティークとおさがりの違いは・・・?  読書の時間「着物憑き」

 こんにちは。

 T・たまもです。

 今日ご紹介する本は、エッセイ。

 で、いいんだよね・・・?

 実は小説だと思って読み始めて、3話目くらいで「あれ?」と気づいた私なのでした。

 だって、ホントに怪談なんだもの。

 著者はそういう体質らしく、さまざな体験があり、また体験を持つお知り合いも多いので、話に事欠かないらしい。

 特技は一人百物語、って、ウィキにありましたよ。


加門七海「着物憑き」集英社


 住宅だって車だって、「おさがり=中古品」はたくさん売っています。

 アンティーク、なんて呼ばれるものになると、貴金属にはいわく因縁のあるものがあったりします。

 着物もそのひとつ。

 人の身体に近いものほど、また作った人(制作者でも、注文者でも)が魂を込めていればなおさら、モノなのにチカラを持ってしまうのかもしれません。

 着物好きなら、覚悟の上で「おさがり」は着なくてはなりません。

 お金持ちならいざ知らず、すべて新品をあつらえられるほど着物は安くありませんからね。

 親や親類、友人のお下がりなら由来はわかっているけれど、リサイクルとなると、ある種さらなる覚悟が必要なのです。

「私の所へ来たのだから、縁があったのだ、着てもらえれば着物もうれしいよね」

 と、私などは、自分と着物にそう言い聞かせております。

 

 それにつけても、気になるのは「着物が人を選ぶのだ」というこの著者の説。

 たしかに、私にも手に入れたまま袖を通していない着物や帯が何枚かあります。 

 しかも、その中には自分のために自分であつらえたモノもあります。・・・

 機会なのか、時期なのか、それとも・・・。

 来年こそは着て、主人は私なのよ!とマウンティングしたい所なんですけど・・・。

乗っているろばの上で手を振り回したら・・・ 「推敲」その2

 乗っているろばの上で手を振り回したら・・・交通事故が起きます。

 こんにちは。

 T・たまもです。

 昨日の漢文「推敲」のつづきです。

 

 自転車に乗りながら考えごとをして、両手を放してふりまわしているようなもの、と授業では説明をします。

 すると、当然「危険でしょ」と生徒が反応します。

「で、衝突したのが都知事の車だったら」

「テロと思われちゃう!」

 お約束な展開になります(笑)。

 韓愈が同じ詩オタクで、賈島クンは運が良かった。

 

 賈島は、五言律詩が得意だったそうです。

 苦吟詩人とも呼ばれていたそうで、三年かかって対句をひとつ作ったとかけっこうしつこいタイプだったらしい・・・。

 それこそ一字一句ゆるがせにせず、すべての詩を練り直していたとすると、寡作だったのでしょうか。

 でも、ちゃんと十巻もある『賈浪仙長江集』 という詩集も出しています。

 

ところで、交通事故を起こしてまで決定した一句、「僧敲月下門」がいったいどんな詩として完成したのか、知りたいですよね。


  題李欵幽居 李凝の幽居に題す

閑居少鄰竝 閑居隣並少なく
草径入荒園 草径荒園に入る
鳥宿池中樹 鳥は宿る 池中の樹
僧敲月下門 僧は敲く 月下の門
過橋分野色 橋を過ぎて野色を分かち
移石動雲根 石を移して雲根を動かす
暫去還来此 暫く去って還た此に来たる
幽期不負言 幽期 言に負(そむ)かず

          (訓読はウィキを参照しました)

五言律詩ですね。

おしてもダメなら、たたいてみる? 「推敲」その1

 こんにちは。

 T・たまもです。

今日は、漢文「推敲」をとりあげます。

 

賈島赴挙至京、騎驢賦詩、得「僧推月下門」之句。
欲改推作敲。
引手作推敲之勢、未決。
不覚衝大尹韓愈。
乃具言。
愈曰、「敲字佳矣。」
遂並轡論詩久之。

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「推敲」の授業プリント

 「唐詩紀事」という本に載っているお話です。

 推敲といえば、文章を書いた後に、表現や字句を良くするために何度も練り直すという意味で作文学習の時に使われる言葉です。

 そもそもは「PUSHおす」と「KNOCKたたく」の意味だとご存じですか。

 なんとなく、推理の「推」だから、「考える」かなあ、敲がつくと「よく考える」くらいの意味になるのかしらんと思っていませんか。

 私はこの言葉を初めて知ったとき、まずそう思いました。

 言葉には出さなかったけど。

 そして、辞書を引いて、「PUSHおす」と「KNOCKたたく」の意味だと知ったのです。

 辞書は使うモノですね。

 

 この「推敲」というエピソードは、なぜ推敲が文章を練り直すという意味になったかの由来です。

 先週、紹介した「雑説」の作者・韓愈が、今度は登場人物になっています。

(ぶつかったのは韓愈の行列でしょうが、プリントではわかりやすく韓愈本人にぶつかったことにしています。)

 賈島というのは、詩人の名前で、韓愈の弟子だそうです。

 韓愈は自分自身が有名詩人だっただけでなく、大勢の若い詩人たちの面倒を見た「アニキ」だったようで、このエピソードは、その一面が見られます。

「おしてもたたいても、どっちでもいいじゃん」と思いますが、韓愈もまじめに「たたくの方が良いな」と言っています。

 二人とも詩人なんだね~とほほえましい。

 「おす」だとすでに門は開いていて「たたく」だとまだ門は開いていません。

 ぎいいという門を開ける音より、ほとほととたたく音の方が風流だということでしょうか・・・。


おやつの時間 呼び方で出身地がわかるお菓子と言えば・・・

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太鼓焼き

 こんにちは。

 T・たまもです。

 すっかり初冬の雰囲気の今日この頃です。

 

 ざっくりわけると、今川焼き大判焼きは東日本の呼び方で、回転焼きは九州、太鼓焼きは関西に多い呼び方らしい。

 今川は江戸の今川橋、または今川義元が語源とか。

 大判は楕円の型で作ったモノで、丸くても材料が同じなので同様に呼んだそうな。

 太鼓焼きは、なまって太閤焼きになったらしいとは、大坂あるあるですね。

 詳しくは今川焼きの呼び方について熱く論じているサイトがたくさんありますので、そちらをどうぞ。

 

 気になるのは回転焼き。

 たしかに型にいれた生地を上下ひっくり返して両側を焼くので「回転」焼き、というのは納得できるネーミング。

 今は、冷凍食品も多く出回っているけれど、今川焼きって、店先での実演販売が主だったと思うのです。

 だから、見ているお客様も、特にコドモなどは「回転してる~!」から回転焼き、って呼びそうではありませんか。

 たこ焼きも鯛焼きも回転するだろと言われたら、そうなんですけど。

 鯛焼きのようにどんなカタチか、で名前がつけられるものもあるし、回転焼きのように調理法から名付けられるもの、たこ焼きのように材料で名付けられるもの、いろいろです。

 店の名前や出身地や歴史を表す風流な名前もありますね。

 太鼓焼きはカタチだね。

 私としては、大判焼きと呼ばれるくらい大ぶりの方が好みです。

 食べた~!って感じがするじゃありませんか。

 この写真は大判と言うより、上品な小判サイズなんです。

 五十両くらいの厚みはありそうですが、この厚みのために作るのに苦労しました。

 

 

この世ならぬ者と約束を交わすときは・・・読書の時間「夜叉ヶ池」

 こんにちは。

 T・たまもです。

 今日ご紹介する本は、戯曲。

 

泉鏡花「夜叉ヶ池」講談社

 

 私、泉鏡花の愛読者なんです。

 「婦系図」だけは、まだ読んでいません。

 だって、それを読んだらもう終わりなんだもの。

 もう少し先の楽しみにとってあるのです。

 で、何度か繰り返し読んでいるのは、この「夜叉ヶ池」とか、「天守物語」「海神別荘」といった戯曲です。

 映像化もされているので、ご覧になった方もいるでしょう。

 鏡花が描く美女の体現、坂東玉三郎が主演しています。

 そうそう、玉三郎さんは「外科室」で監督もしてましたね。

 吉永小百合加藤雅也というきれいどころの共演でした。うっとり。

 

 それはさておき。

 妖怪変化と呼ばれるものたちと、人間との対比がすごくするどい。

 人間は自分ファーストです。

 人間ではないものを見下します。

 そして、自分たちの論理が自分勝手であることに自覚がありません。

 相手が妖怪だから「怖い」「醜い」「裏切ってもかまわない」。

 約束を破るのはいつも人間です。

 高雅な妖怪たちは、自分たちに勝つ力がじゅうぶんにあっても、たとえ不平等な取り決めであっても、「約束したこと」は必ず守ります。

 守り方が妖怪独特であるとしても。

 ということは、報復も妖怪独特になるのでしょう。

 この世ならぬ者と約束を交わすときはくれぐれも気をつけなくてはなりません。

伯楽がいない場合には・・・?「雑説」その2

 こんにちは。

 T・たまもです。

 昨日の続きです。漢文の「雑説」についてです。

 

 伯楽とは春秋戦国時代の人で孫陽のこと。

 馬の鑑定眼に優れていたので、天馬の神仙星「伯楽」の名をもらったそうです。

 転じて人間の才能や器量を見抜き、育てる人のことを伯楽と言います。

 名コーチのことを、「名伯楽」と言いますよね。

 で、当然ながら才能というのは、誰かが認めないと才能がある人とは言われないわけです。

 スポーツや芸事などを始めているのなら「この子は筋がいい」とか、「オレって天才?」みたいなこともあるでしょうが、ただの学生でやんちゃなトラブルメーカーだったら、それこそ海のものとも山のものともつきません。

 

「ホントは天才経営者とか、大物政治家になる資質があるとしても」

 と、私は授業で言ったものです。

 「私は伯楽ではないからね、キミの才能を見抜けないでいるだけなのかもしれません」

 そう言うと、生徒たちはまんざらでもない様子でにやにやします。

 「むしろ、厄介な問題児と思っていたりして正しい扱い方を知らないばかりに、キミの才能をつぶしてしまっているのかもしれない、と思うと怖いなあ」

 とまで言うと、大喜び。

「そうだよ、先生、きっとそうに違いない」

「でもね~、栴檀は双葉より芳し、という言葉もあるし、臥薪嘗胆とも言うし。将来を楽しみにしていますから、自分を信じて、辛い仕打ちにも耐えて、大きく羽ばたいてね」

 これは本気で言うのが大切。

 彼ら自身も、自分に才能があることに自信はないのですから。

それと知られぬ名馬は、逆に役立たずと思われて・・・「雑説」 その1

 こんにちは。

 T・たまもです。

 今日は、先週に続いて漢文を取り上げます。

 

 世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。故雖有名馬、祇辱於奴隷人之手、駢死於槽櫪之間、不以千里称也。馬之千里者、一食或尽粟一石。食馬者、不知其能千里而食也。是馬也、雖有千里之能、食不飽、力不足、才美不外見。且欲与常馬等、不可得。安求其能千里也。
策之不以其道。食之不能尽其材。鳴之而不能通其意。執策而臨之曰、「天下無馬。」
嗚呼、其真無馬邪、其真不知馬也。

 

 この「雑説」も、漢文の入門期に良く扱う教材です。

 「説」とは、論説文、つまり意見文のことですね。

 「雑」ですから、とくにテーマがないとか、思いつくままとかの意でしょうか。

 だったら、エッセイに近いのかもしれません。

 元の文章は四話あり、そのうちのひとつです。

 「借虎威」より文章が長いのですが、お話としてはやはりとてもわかりやすい。

 それと知られぬ名馬は、逆に役立たずと思われて埋もれることの方が多い、という悲しいお話というより名馬を見抜かねばならぬ者への警告です。

 

 今日も授業用に作ったプリントをば、お見せしましょう。

 これは、筆ペンとサインペンで描いたので、割とはっきり見えるかと思います。

 あらら、下にあるプリントの字がちょっと透けていますね。

 提出させたら、きれいに色づけしてあったり、なかなかの名訳があったり、とても楽しかったのを覚えています。 

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雑説のプリント

 作者の韓愈は中国,唐代中期の文学者,思想家,政治家。

 字は退之。唐宋八家の一人として知られます。

 当時は駢文という技巧を凝らした文体がはやっていたようなのですが、韓愈は平易な文章を書く方のようです。

 科挙に落ちたのはそのせいだという話があるくらい。