T's Cafe

小さな私の体験が、もしかしたら大きなヒントになる・・・かもしれません。前は学校の先生、今は自適のご隠居とおしゃべりしましょ。

「東路の道の果て」・・・「更級日記」その2

 こんにちは。

 T・たまもです。

 前回は、「更級日記」の本文に入る前に女性の名前について考えてみました。

 今日もまだ本文ではありません。まあ冒頭の文節、でしょうか。

 高等学校の教科書に採録されるのは、「更級日記」の冒頭と、半ば、最後が多いようです。

 授業でやるのは冒頭だけということもあります。

 最近はさらに古典の授業時数が減ってるから、どうなのでしょう。

 教科書では冒頭部分には「東路の道の果て」とか、「門出」とか、「あこがれ」とか、小見出しが付けてあります。

 「東路の道の果て」は文字通り文章の最初の部分ですが、日記の出発地点(物理的にも内容的にも)を意味します。

 菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ・以下サラちゃん)が物語に興味を持ち、都へ上京することになった顛末が描かれている部分です。

 「門出」は、「上京することになった」のを強調する見出しですね。

 「あこがれ」は、彼女の一生を左右(大げさですが、オタクにはありがち)することになった「源氏物語」への思いを強調する見出しです。

 現在の千葉県市原市には当時の上総国国府があったということで、サラちゃんの銅像が建っているそうな。

 市原市には「更級」という地名もあるそうですが、ウィキによれば「更級」という語は作中にはないそうです。

 「月も出でで闇にくれたる姨捨になにとて今宵たづね来つらむ」という歌が作中にあります。

 その歌の本歌の中に「更科や姨捨山云々」と出てくるそうです。

 私も、「さらしな」という言葉を聞いてまず思い出すのは信濃国にあったという更科郡。

 うばすて山と聞いたらなおさらです。

 サラちゃんの夫は信濃国守であった橘俊通(たちばなのとしみち)ですしね。

 そうしてみると、題名ひとつとってもなかなか凝っているような感じもします。

 ちなみに私は個人的に「東路の道の果て」が、サラちゃんの自虐的なオタクっぽさを表現していて好き。

 つづく。

平安女子のビジネスネームは・・・「更級日記」その1

 こんにちは。

 T・たまもです。

 久方ぶりに古典の一節など読んでみたいと思っています。

 今回は「更級日記」にしようと思うのですが、本文に入る前に、作者について。

 「更級日記」の作者は、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。

 通称サラちゃん。

 11世紀初期の人です。

 姓でわかるとおり、菅原道真の子孫です。

 学者の家系ですね。

 母方の親戚には藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは・「蜻蛉日記」の作者)なんかもいたりして、教養深い一族の中で育った人のようです。

 「浜松中納言物語」や、「夜半の寝覚」の作者とも言われています。

 サラちゃんというのは、授業でいちいち「すがわらのたかすえのむすめ」というのが大変なので、私が付けていた愛称です。

 ちなみに、お姉さんは「しな子お姉さま」と呼んでいました。

 当時の女性は、公式文書に名前の載るお妃たちは別として(それだって読み方は安定していません。「中宮定子」だって「さだこ」なのか「やすこ」なのかわからないから「ていし」です)、貴族であっても名前が伝わっていないことが多いです。

 家系図でさえ「女」になってるって、どうなんでしょう?

 これは、

「女の名前を載せる必要はない」

という男尊女卑とも考えられるし、姫君を守るために

「夫と家族以外に正体を見せない」

ようにしていた、とも考えられます。

 貴族の男の子は成人すれば宮中で何かしらのお役目に就きますから、諱(いみな・成人してからの公式の本名)が公式文書(基本的に漢文)に載ります。

 女の子はお役目に就いても、本名はもちろん秘されます。

(先述の理由で)

 それまでの呼び名は家族内でのものですから使わない。

(たぶん、「かぐやひめ」みたいな名でしょうから、女性とは言え、お役人としては和風すぎるのでしょう)

 とすると、中国風というか男性風に読めるような「清少納言」的な宮中でのビジネスネームを付ける必要があったと考えられます。

 サラちゃんも宮仕えをしたことがありますから、きっとそういう名前を付けたのではないかと思うのですが・・・。

 伝わっていないのは、さほど目立つ女官ではなかったと言うことでしょうか。

 それともそれが「菅原孝標女」?

 ・・・長すぎる・・・。

 というか、私ならいちいち父親の名前で呼ばれるのは嫌だわ・・・。

 自分で名前が選べるならば、源氏オタクなら「小紫式部」とか「藤太夫」くらい名乗りたいものだと思うのは、現代的な考えでしょうか。

たとえば瞳が炎になったり・・・読書の時間「ギガ・タウン~漫符図譜」

 こんにちは。

 T・たまもです。

 今日ご紹介する本は漫画です。

 

こうの史代「ギガ・タウン~漫符図譜」朝日新聞出版


 「ぼおるぺん古事記」はボールペンで描かれていましたが、これは、筆・・・筆ペンなのかな?

 金属のペンではないと思う。

 鉛筆にしては線の幅が豊かだし。

 なので、鳥獣戯画風味の登場人物(人物っていうか、動物たち)にはふさわしい画風なのでした。

 漫符というのは、漫画の中で表情や行動を示すための記号のことです。

 ふきだしも普通のしゃべり方ならセリフを○で囲み、怒鳴り声を表すときは☆みたいなトゲトゲでかこみますよね。

 これも漫符のひとつ。

 人物の顔に縦じまを半分くらい入れると気落ちや心配の表情を表すし、十や廿みたいな印をいくつか頭の横につければワイワイキャピキャピな表情になる。

 ということで、日本の漫画に数多く出てくる漫符を、漫画で説明しようという画期的な内容なのです。

 描いてみようと思ったこうのさんもツワモノですが、面白がってOKを出す担当さんもえらいわ。

 外国のコミックにも漫符はあるのかしら。

 チャーリー・ブラウンスヌーピーは、憮然とするとき、ごちゃごちゃした竜巻っぽいのを頭の上に浮かべていた・・・

 今アメコミをちょっと見ましたが、スーパーマンなんかは汗のしずくとかびっくりしたときのトゲトゲはあるみたい。

 でも、例えば瞳が炎になったり(熱情)、瞳がハートになったり(フォーリンラブ)、口の中に牙が生えたり(激怒)ってあまり見かけない気がする。

 日本の方が豊かなのか漫画の種類によるのか。

 考えてみれば、人間の表情をデフォルメする方法の1つだと思うけど、しずく1つで涙になったり汗になったり、なかなか合理的な描写方法です。

 表情に乏しいという日本人の繊細さの現れ、なのかも。

カラダを温めるためには・・・

 こんにちは。

 T・たまもです。

 今日はみちくさ。

 体温が1度上がると、免疫力が格段にあがるそうです。

 置き薬屋さんが、来るたびに言っています。

 平熱が低い人は、なるほど、風邪を引きやすかったりします。

 内側からカラダを温めるためには温かい料理や生姜やニンニクなどを食べたりしますよね。

 あとは、運動するとかでしょうか。

 カラダが温まる前にバテたりして。

 外からカラダを温めるには、あなたはどうしていますか。

 寝るときに湯たんぽを使うとか。

 お風呂で湯船に浸かるとか。

 首と呼ばれるところ(足首、手首、頭の首)を冷やさないように靴下や手袋やマフラーを欠かさないとか。

 以前、片岡鶴太郎さんが

「肛門に使い捨てカイロを当てる」

という話をしていたことがあります。

 お尻を冷やさないのが男女問わず非常に大切なので!と力説していました。

 それを聞いて、使い捨てカイロを使ったとき、やってみた事がありますが、そんなに感動的な効果は感じられませんでした。

 それから幾星霜。

 今年、久方ぶりに発見された1人用の電子カーペット。

 40センチ四方くらいのカーペットなのでつまり足を温めるのに職場で使っていたものです。

 ふと思いついてリビングの椅子にのせて、つまりお尻の下に引いてみたのです。

 そうしたら、足元に引くより下半身全体が温かいんです。

 もちろん、足の裏は床にカーペットがあるより冷たいのですが、その冷たさがあまり気にならない。

 ときどきお尻が熱くなり過ぎたとき、足下に敷いています。

 今年は暖冬のせいもありますが昼間はこのカーペット1枚で過ごせる日が多いです。

 お尻を温める・・・大事なんですね。

 考えてみれば、内側から温めるために熱々のモノを食べても、腸に届くころはきっと体温くらいになってますものね。

 内側から腸を温めたいなら、お尻を温めるのが良いのかもしれません。

 

そういえばそっくりな姿の・・・おやつの時間

はなびら餅

 こんにちは。

 T・たまもです。

 

 先日、お呼ばれした初釜で主菓子に花びら餅をいただきました。

 画像は残念ながらその時のものではありませんが(実は写真を撮るのを忘れてパクついてしまったの)、お正月のお菓子としては、花びら餅はメジャーなものですね。

 密漬けのごぼうとみそあんが美味しくて、姿も白のお餅にピンクが透けてうるわしい。

 

 「この花びら餅の由来は何でしょうね」

と話題になり、

「和菓子のことなら・・・たまもさんご存知?」と、突然振られた私。

 裏千家では初釜のお菓子と決まっているそうな。

席主の先生(裏千家ですよ!)に振ってよ~、と思いつつ

「たしか、宮中のお正月の料理だったかお菓子だったかをアレンジしたものではなかったでしょうか」

と、アセアセ答える私。

 すると、正客をつとめていた方が

「ああ!なるほど」

と納得の表情。

 この方は国会議員さんなのでお正月に皇居にお呼ばれする機会があるそうです。

「そういえば、出たお料理の中に花びら餅とそっくりな姿の料理がありました」

 お客のみなさんは興味津々。

「でも、現代の味覚からすると、薄味過ぎるというか、恐れ多いことながらあまり美味しくない・・・」

 一同爆笑。

 茶道に関しては素人の方でしたが、これだけで正客のお勤めを立派に果たした、茶席の会話でした。

 ちなみに理研ビタミン株式会社のホームページにはこうあります。

「「花びら餅」は、新年に食べるお祝いのお餅で、平安時代宮中で元旦から3日間、長寿と延命を願って固いお餅を食べる「歯固めの儀式」に用いられていた「菱葩餅(ひしはなびらもち)」に由来しています。新年の宮中参賀に出た公卿たちは、紅白の餅とごぼうを持ち帰って、京都ならではの白みそを使ってお雑煮を作ったそうです。」

 Kanrοのホームページには菱葩餅はみそを包んでいるのでその組み合わせから「宮中雑煮」「包み雑煮」とも呼ばれるとありました。

 もちろん、甘くない。

 なるほど、これが原形の料理なのですね。

 私の答もおおかたは合っていたようです。

 お餅については現在は店によって餅だったり求肥だったり雪平生地だったりします(同じ餅生地でもちがうのよ)。

 食べ比べると楽しい。

 宮中から出てくれて良かった。

「原作と映画は別物」だからこそ・・・

 こんにちは。

 T・たまもです。

 今日はみちくさ。

 

 「原作と映画は別物」

と思って見なければ、傷つくのは愛読者・視聴者だと思っていたのですが・・・。

 悲しい事件が起きてしまいましたね。 

 お悔やみ申し上げます。

 小説家や漫画家の自殺というのは時々ある話ですが、今回は原因が「これ」だろうとネットを騒がせています。

 ドラマ化がきっかけで「もう描けない」と原作者が思ったのだとしたら悲しすぎる。

 考えてみれば、原作者が一番心落ち着かないのかもしれません。

 原作と映画は別物、だからこそ、原作者がドラマ化や映画化されたモノを見て、さらに創作意欲を刺激されるようなそんな関係でなくてはいけないと思う・・・。

 

 映画化・ドラマ化・舞台化・アニメ化された漫画や小説作品は数多いです。

 愛読者が満足できるモノと、原作者が満足できるモノが同じとは限らないし、まして映画化されたモノしか見ていない視聴者が原作に満足できるかというとそれもわからないけれど。

 こんがらがってきましたよ。

 私の数少ない経験から言うと、「ドラえもん」とか、「サザエさん」は、ほぼアニメ=原作になっているのではないかと思います。

 それでも、原作のサザエさんは現在のアニメのサザエさんと比べるとずいぶん雰囲気が違っています。

 もっとも、原作のサザエさんを見たことがある人は今やあまりいなさそうですけどね。

 そういえばドラえもんサザエさんも実写ドラマ仕立てのCMがありました。

 20年後、って設定がきいていて、アレは面白かったなあ。

 とくに、ジャン・レノドラえもんというセンスが良かった。

 別物としての覚悟がかえって良い効果を生んでいた例でしょう(個人の感想ですよ)。

 映画の方が原作よりいいかも・・・という印象を持ったのは「肉体の門」(かたせ梨乃主演のやつ)と「かもめ食堂」(小林聡美主演のやつ)。

 原作(小説)の世界をうまく拡張して視覚的に訴える作品になっているなあと思いました(あくまで個人の感想です)。

 原作(漫画)とは全く違うけど、映画としてはアリかなと思ったのは「ベルサイユのばら」(ジャック・ドゥミ監督)と「デスノート」(最初のやつ)。

 なんといってもオスカルを演じたカトリオーナ・マッコールが「実物のオスカルがいる~」と思うほどの美しさ。

 松山ケンイチも、「実物のLがいる~」と思うほどの怪演。

 あ、つまりキャラクターの再現性が高くてリアリティが出ると、他は許せる気分になるのかな?(個人の感想ですから!)

 私は最近全然漫画を読まないので、最近の作品については、たとえば「昨日何食べた?」のドラマは良かった、とは思うけど、原作との比較は出来ません。

 絵ヅラだけ見て、原作のシロさんは西島秀俊よりキツい感じだな、と思うくらい。

 でも、ドラマの評判は良いらしいから、原作ファンからも一定の評価は得ているらしい。

 原作者の感想はわかりませんが、映画化や続編ドラマをOKしているということは、それなりの感想なのかしら。

こんなはした金で・・・

 こんにちは。

 T・たまもです。

 先週は体調を崩して、寝込んだりしていました。

 年々体力と免疫が落ちている気がする。

 

 さて、今日はみちくさ。

 昔々、まだ私が子供で選挙権の意味を授業でやっと知ったころ。

 選挙のたびに、家に来るおばさまがいました。

 今考えると、その方が支持する政党や候補者に投票してくれるように頼みに来ていたのだと思います。

 ・・・チラシの間にポチ袋をはさんで。

 私の父は潔癖な人だったので、おそらくそんなことを知ったらかえって絶対にその候補者には投票しなかったと思います。

 母は義理堅い人で、しかも嘘がつけない人だったので

「やだわ」

とは思いつつ、後日

「違う人に投票した」

とは言えないので、その候補者に投票したのでしょう。

 あとで

「こんなはした金でブツブツ・・・」

と言っていた覚えがあります。

(金額の問題ではないと思うけど)

 そのおばさまが個人的にしていたことなのか、組織的にしていたことなのかはわかりません。

 母に寄れば、

「今回はないのか」

とか、

「もっと寄越せ」

とか、そのおばさまにたかる人もいたらしい。

 そうすると、少なくとも慣習になってはいたのでしょう。

 子供心に

「日本のセンキョはこういうところにお金がかかるのね・・・」

と思いましたよ。

 次の選挙までバレなければ、時効だったのかなあ・・・。

 昨今の裏金問題で思いだしたコトでした。